君が代行進曲について調べていると、その作曲者や吉本光蔵という人物がいったいどのような経歴の持ち主なのか、あるいはこの曲がいつできたのかといった歴史的な背景が気になってくるものです。
また、曲の中間部であるトリオの歌詞に皇国の守りが使われている理由や、有名な軍艦マーチとの違いについても深く知りたいと感じているのではないでしょうか。
さらに自衛隊や甲子園での演奏実績や吹奏楽の楽譜に関する情報を求めている方も多いと推測されます。
この記事では、そうした数々の疑問を一つひとつ丁寧に紐解いていきます。
- 君が代行進曲の作曲者である吉本光蔵の意外な経歴とドイツ留学の影響
- 曲のトリオ部分に引用された唱歌「皇国の守り」の歌詞とその意味
- 軍艦マーチとの明確な違いや吹奏楽における演奏難易度
- 戦後から現代にかけての甲子園や自衛隊音楽隊での演奏実績
君が代行進曲の作曲者と歴史的背景

日本の吹奏楽史において重要な位置を占めるこの楽曲は、単なる国歌のアレンジ作品ではありません。
ここでは、作曲者である吉本光蔵がどのような人物であったのか、そして彼がドイツ留学を経てこの曲を完成させるまでに至った経緯について詳しく解説します。
また、この曲の核心とも言える中間部(トリオ)に込められた意図についても深掘りしていきましょう。
作曲者である吉本光蔵の経歴
明治時代の音楽界において、吉本光蔵という名は非常に大きな意味を持っています。
彼は1863年(文久3年)に生まれ、16歳で海軍軍楽隊に入隊しました。
当時、日本における西洋音楽の受容はまだ黎明期にありましたが、海軍軍楽隊は最高水準の教育機関としての側面も持っていました。
吉本はその中で頭角を現し、単に演奏技術に優れていただけでなく、音楽理論への深い理解と指導力を兼ね備えていたと考えられます。
彼のキャリアにおける最大の転機は、明治32年(1899年)、海軍軍楽隊から初めて選ばれた留学生としてドイツ・ベルリンへ派遣されたことです。
37歳という年齢での留学は、彼の才能に対する国からの並々ならぬ期待の表れだったと言えます。
いつできた曲?その成立過程
この行進曲がいつできたのか、その正確な成立時期は明治35年(1902年)頃とされています。
これは吉本光蔵がドイツ留学から帰国した直後の時期にあたります。
彼がベルリンで学んだのは、演奏技術だけでなく、和声学や対位法といった西洋音楽の骨格を成す理論でした。
帰国後に作曲されたこの曲には、ドイツで吸収した厳格な音楽形式と、日本独自の旋律を融合させようという強い意志が感じられます。
明治維新以降、急速な近代化を進める日本において、海軍軍楽隊がその象徴的な役割を果たしていたことは間違いありません。
吉本は、留学で得た知見を活かし、日本の国歌を主題とした芸術的かつ実用的な行進曲を完成させたのです。
トリオに使われた皇国の守り
行進曲の構造上、非常に重要な役割を果たすのが中間部、いわゆる「トリオ」と呼ばれるセクションです。
通常、トリオには滑らかで歌心のある旋律が用いられますが、吉本はこの部分に当時の唱歌である「皇国の守り(みくにのまもり)」を引用しました。
これは単なるメドレー形式のアレンジではなく、楽曲全体に明確なストーリー性を持たせるための高度な構成だと考えられます。
主部で国歌「君が代」の旋律を提示し、国家の安寧と永続を祈る「静」のイメージを描いた後、トリオで「皇国の守り」を用いることで、国を守るという能動的な「動」の意志を表現したわけです。
この対比こそが、この行進曲の最大の聴きどころと言えるでしょう。
中間部の歌詞に込められた意味
トリオで奏でられる「皇国の守り」は、伊沢修二が作曲し、外山正一が作詞した唱歌です。
この曲の歌詞には、当時の日本を取り巻く国際情勢や、人々の精神性が色濃く反映されています。
「来たれや来たれ」「敵は多くとも恐れるな」「死すとも退くことなかれ」といった歌詞は、明治20年代から30年代にかけての、日清戦争を経て日露戦争へと向かう時代の緊張感を伝えています。
吉本光蔵があえてこの曲をトリオに選んだ背景には、平和を祈る国歌との対比として、国防への強い決意を示す意図があったと推測できます。
音楽を通じて、当時の国家としての姿勢を表現しようとした試みだったと言えるかもしれません。
ドイツ留学と楽曲の構成
吉本光蔵のベルリン留学は、この楽曲の完成度に決定的な影響を与えています。
彼が学んだベルリン王立高等音楽院は、当時の世界最高峰の音楽教育機関でした。
そこで彼は、論理的で緻密なドイツ音楽の構築美を肌で感じたはずです。
実際、「君が代行進曲」のスコアを見ると、和声の処理や楽器の重ね方に、ドイツ流の堅固なスタイルが見て取れます。
特に、日本の伝統的な音階を持つ「君が代」の旋律を、西洋の行進曲のリズム(2/4拍子や4/4拍子)に違和感なく適合させている点は見事です。
留学中に交流があったとされる瀧廉太郎らとの議論も、彼のアカデミックなアプローチに深みを与えた可能性があります。
君が代行進曲と軍艦マーチの比較と楽譜

「君が代行進曲」について語る際、どうしても避けて通れないのが「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」との比較です。
両者は同時期に存在した海軍の名曲ですが、その性格は大きく異なります。
ここでは、その違いを明確にするとともに、実際に演奏したいと考える方のために、楽譜の情報や演奏のポイントについても触れていきます。
軍艦マーチとの違いを徹底解説
「君が代行進曲」と「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」は、しばしば混同されがちですが、その成り立ちと楽曲の性格には明確な違いがあります。
軍艦行進曲は瀬戸口藤吉によって作曲され、トリオ部分に「海行かば」が引用されているのが特徴です。
その曲調は勇壮で祝祭的、そしてどこか明るい高揚感を持っており、大衆的な親しみやすさがあります。
一方、吉本光蔵の「君が代行進曲」は、より儀礼的で荘厳な響きを持っています。
国歌を主題としているため、威厳や重厚さが前面に出ており、ドイツ音楽的な論理構成が際立っています。
「動」の軍艦マーチに対し、「静」の君が代行進曲という対比ができるかもしれません。
これらはライバル関係というよりは、海軍の精神的な両輪として補完し合う関係だったと言えます。
吹奏楽譜の難易度とグレード
これからこの曲を演奏しようと考えている吹奏楽関係者にとって、難易度は気になるところでしょう。
一般的に出版されている楽譜(TRN社や国内出版社など)では、この曲のグレードは概ね「2.5」程度とされています。
これは、中学校の初級バンドや小編成のバンドでも十分に演奏可能なレベルであることを意味します。
極端なハイトーンや複雑な変拍子などは現れず、基礎的な技術があれば譜読みはスムーズに進むはずです。
しかし、技術的に平易であることと、音楽的に簡単であることはイコールではありません。
シンプルな譜面だからこそ、バンドの基礎力や表現力が如実に表れる曲だと言えます。
自衛隊や甲子園での演奏実績
この曲は過去の遺物ではなく、現代でも様々な場面で演奏されています。
特筆すべきは、1952年(昭和27年)の第24回選抜高等学校野球大会(センバツ)において、入場行進曲として使用されたという歴史的事実です。
これは日本の主権回復と時期を同じくしており、新しい時代の幕開けに国歌をモチーフにした行進曲が選ばれたことは非常に象徴的です。
また、現在でも海上自衛隊をはじめとする自衛隊音楽隊の重要なレパートリーとなっています。
観艦式や自衛隊音楽まつりなどで演奏される機会もあり、歴史的な文脈を踏まえつつ、平和への願いを込めた現代的な解釈で演奏され続けています。
演奏する際の効果的なポイント
もしあなたがこの曲を指揮、あるいは演奏するのであれば、意識すべきは「レガート」と「マルカート」の対比です。
主部の「君が代」の旋律は、行進曲のリズムに乗りつつも、原曲の持つ歌うような滑らかさ(レガート)を損なわないように演奏することが肝要です。
対照的に、トリオの「皇国の守り」の部分では、歌詞の内容にあるような力強さや決意を表現するために、はっきりとしたアーティキュレーション(マルカート気味)で演奏すると、楽曲に立体感が生まれます。
テンポ設定も重要で、あまり速すぎると威厳が損なわれてしまうため、堂々とした歩幅を感じさせるテンポを維持することが、この曲の良さを引き出す鍵となるでしょう。
現代に伝わる君が代行進曲の魅力
明治という激動の時代に生まれ、ドイツの理論と日本の魂が融合した「君が代行進曲」。
吉本光蔵という才能が遺したこの作品は、単なる歴史的な資料にとどまらず、今なお私たちに多くのことを語りかけてくれます。
華やかな軍艦マーチの影に隠れがちではありますが、その重厚な響きと緻密な構成美は、聴くたびに新しい発見を与えてくれるはずです。
歴史的背景を知った上で耳を傾ければ、その音色はより深く心に響くことでしょう。
機会があればぜひ、自衛隊音楽隊の演奏などを探して聴いてみてください。








