君が代行進曲の作曲者と歴史|トリオの皇国の守りや軍艦マーチとの違い

君が代行進曲を作曲した明治時代の海軍軍楽隊・吉本光蔵のイラスト
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日本の国歌である「君が代」は誰もが知る旋律ですが、明治時代に作曲された「君が代行進曲」という吹奏楽作品については、詳しくご存じない方も多いかもしれません。

名前だけ聞くと、単に国歌を行進曲にアレンジしただけのようにも思えます。

しかし実際には、日本人初のドイツ留学生・吉本光蔵による本格的な作品です。

曲の中間部(トリオ)には「皇国の守り」という唱歌が隠されているなど、意外な仕掛けも満載です。

また、有名な軍艦マーチとの違いや、現在でも自衛隊などで演奏される機会があるのかなど、気になる点は尽きません。

この記事では、そんな君が代行進曲の知られざる魅力や楽曲構成について、当時の時代背景も交えながら一つずつ紐解いていきます。

この記事を読むと分かること
  • 作曲者の吉本光蔵がドイツ留学で学んだ音楽理論とその影響
  • 中間部のトリオに使われた唱歌「皇国の守り」の歌詞と意味
  • 儀礼的な君が代行進曲と勇壮な軍艦マーチの性格的な違い
  • 昭和27年のセンバツ高校野球入場曲として採用された意外な歴史

結論から言うと、君が代行進曲は「君が代」を主題に据えつつ、トリオで「皇国の守り」を引用することで、荘厳さと行進曲らしい場面転換を両立させた作品として語られます。

軍艦マーチが祝祭的な高揚感を前面に出すのに対し、君が代行進曲は儀礼曲としての落ち着きが軸になりやすい点が、聴感上の大きな違いです。

現在も公的な場で演奏例があり、音源が公開されていることからも、レパートリーとして一定の位置を保っていることが分かります。

陸上自衛隊『サウンド』

君が代そのものの成立や背景を先に整理したい場合は、次の記事もあわせて読むと理解がつながりやすくなります。

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君が代行進曲の歴史と作曲者吉本光蔵

君が代行進曲の作曲背景となる吉本光蔵のドイツ留学への旅立ち

ここでは、この楽曲がどのような経緯で生まれたのか、そして中心人物である吉本光蔵がどのような背景を持っていたのかについて整理していきます。

明治という激動の時代に、西洋音楽をどのように日本へ取り入れようとしていたのか、その足跡を辿ってみましょう。

吉本光蔵がベルリン留学で得た技術

ベルリン王立高等音楽院で西洋音楽の和声学を学ぶ吉本光蔵

君が代行進曲の作曲者として知られる吉本光蔵は、明治時代の海軍軍楽隊において重要な役割を果たした人物といえます。

彼は明治32年(1899年)、海軍軍楽隊から初めて選ばれた留学生として、ドイツのベルリンへ派遣されました。

当時の年齢は37歳前後とされており、すでに音楽家として経験を積んだ状態での挑戦だったようです。

留学先のベルリン王立高等音楽院では、和声学や対位法といった西洋音楽の基礎理論を本格的に学んだと記録されています。

当時、同じベルリンには「荒城の月」で知られる瀧廉太郎も留学しており、彼らが現地で交流を持っていたという記録も残されています。

吉本が持ち帰ったのは、単なる演奏技術だけでなく、ドイツ流の論理的で構築的な作曲技法だったと考えられます。

この留学経験が、後の楽曲制作に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。

吉本光蔵は日本人初の海軍軍楽隊留学生として、ドイツで最先端の音楽理論を学びました。

その成果は、帰国後の軍楽隊教育や作曲活動に活かされたといわれます。

「日本人として初めてドイツへ留学した」という言い回しは分野や定義によって揺れうるため、少なくとも「海軍軍楽隊から初めて選ばれた留学生としてベルリンに派遣された」という事実関係で捉えると誤解が生まれにくいでしょう。

また、瀧廉太郎との交流は紹介される一方、一次資料で確認できる範囲には限りがあるため、伝聞として扱われることもあります。

荘厳な国歌を編曲した楽曲構成の妙

雅楽の君が代と西洋の吹奏楽を融合させた君が代行進曲の構成イメージ

この楽曲の最大の特徴は、日本の国歌である「君が代」を行進曲形式の中に取り入れている点です。

原曲の「君が代」は、雅楽的な響きを持ち、拍子を感じさせないフリーリズムに近い性格を持っています。

これを一定のテンポで歩くための行進曲にアレンジするのは、非常に高度な技術が必要だったと考えられます。

吉本は、ドイツで学んだ和声法を駆使し、日本独自の旋法を西洋的な長調の和声進行の中に巧みに配置したといわれています。

前奏では重厚なファンファーレが鳴り響き、続いて主部として「君が代」の旋律が現れますが、その響きは決して違和感のあるものではなく、むしろ威厳と規律が見事に調和している印象を受けます。

単なるメドレーではなく、一つの音楽作品として完成度を高めようとした作曲者の意図が感じられる部分です。

現在一般に演奏される「君が代」は一定の拍子・テンポで演奏されることが多く、行進曲化は“無拍子”からの変換というより、旋律の性格を保ったままマーチ様式へ置き直す作業と捉えると理解しやすいでしょう。

トリオの原曲である皇国の守りとは

君が代行進曲の中間部(トリオ)の楽譜と引用された皇国の守りの旋律

行進曲の中間部、音楽用語で「トリオ」と呼ばれる部分には、別の旋律が引用されています。

ここで使われているのは、明治21年(1888年)に発表された唱歌「皇国の守り(みくにのまもり)」です。

この「皇国の守り」は、伊沢修二が作曲し、外山正一が作詞を手掛けたとされる曲で、当時の学校教育などを通じて広く知られていたようです。

伊沢修二といえば、日本の近代音楽教育の祖とも呼ばれる人物ですので、当時の人々にとっては馴染み深いメロディだったのかもしれません。

国歌を扱う主部から、唱歌を扱うトリオへと移行することで、楽曲に明確な場面転換が生まれています。

「皇国の守り」の初出年や収録唱歌集の版は資料によって記述が揺れることがあるため、確認が必要な場合は当時の唱歌集や楽譜の記載に当たるのが確実です。

皇国の守りの歌詞と込められた意味

皇国の守りの歌詞に込められた意味と君が代行進曲を作曲する吉本光蔵

トリオで演奏される「皇国の守り」の歌詞を知ることで、この行進曲に込められたメッセージをより深く理解できるかもしれません。

原曲の歌詞は、以下のような内容で始まるとされています。

「きたれやきたれや いざきたれ 皇國(みくに)をまもれや もろともに」

さらに歌詞は続き、「よせくる敵は おほくとも おそるゝなかれ」と、敵の多寡に関わらず恐れずに国を守ろうという、非常に強い意志が歌われています。

これは、明治中期の国際情勢や、国家としての独立を守り抜こうとする当時の気概を反映していると読むこともできます。

静かで祈るような「君が代」に対し、能動的で力強い「皇国の守り」を組み合わせることで、静と動のコントラストを表現しようとしたのではないでしょうか。

歌詞の解釈には歴史的な背景が含まれますが、現代の視点から見ると、当時の人々が抱いていた国防への危機感や決意を読み取ることができます。

ドイツ音楽の影響を受けた和声進行

吉本光蔵がドイツ留学で学んだ成果は、特に和声進行(コード進行)の処理に現れているといわれます。

当時の日本の音楽は、単旋律や五音音階が主流でしたが、君が代行進曲では、低音部がしっかりと土台を支え、内声部が厚みを作るという、西洋的なアンサンブルの構築が見られます。

特に、異なる旋律をつなぐ経過部や、転調のプロセスにおいて、理論的な裏付けを感じさせるスムーズな進行が採用されています。

これは、感覚だけで作ったものではなく、ヴィトマンの著書などで学んだ「学理的音楽」の実践であったと考えられます。

この堅固な構成こそが、100年以上経った今でも吹奏楽のレパートリーとして耐えうる理由の一つといえるかもしれません。

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君が代行進曲と軍艦マーチの決定的違い

荘厳な君が代行進曲と賑やかな軍艦マーチ(軍艦行進曲)の性格の違いを比較したイラスト

「日本の行進曲」と聞いて、多くの方が思い浮かべるのは「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」かもしれません。

ここでは、よく比較されるこの二つの名曲について、その性格や使われ方の違いに焦点を当てて解説します。

軍艦マーチ自体の由来や使われ方を先に押さえておくと、君が代行進曲との違いが整理しやすくなります。

軍艦マーチと比較した楽曲の性格

瀬戸口藤吉によって作曲された「軍艦行進曲」と、吉本光蔵による「君が代行進曲」は、明治期の海軍軍楽隊が生んだ双璧ともいえる作品ですが、その性格は対照的だといわれます。

軍艦マーチは、トリオに「海行かば」の旋律を用い、全体的に華やかで祝祭的な雰囲気を持っています。

聴く人の気分を高揚させるような、外に向かうエネルギーを感じさせる曲といえるでしょう。

一方、君が代行進曲は、国歌を主題としていることもあり、より儀礼的で荘厳な響きを持っています。

内面的な威厳や重みを表現していると捉えることもでき、「動」の軍艦マーチに対し、「静」の君が代行進曲という対比で語られることもあります。

違いを一度で把握したい場合は、次のように整理すると迷いにくくなります。

観点君が代行進曲軍艦行進曲(軍艦マーチ)
主題国歌「君が代」軍歌「軍艦」を軸に展開するとされる
トリオ唱歌「皇国の守り」を引用するとされる「海行かば」を用いるとされる
聴感の印象儀礼的・荘厳華やか・祝祭的
使われ方のイメージ式典・儀礼の文脈で語られやすい行進・イベントで耳にする機会が多いとされる

選抜高校野球の入場曲だった歴史

昭和27年のセンバツ高校野球開会式で君が代行進曲が入場行進曲として使われた様子

意外な事実として語られることが多いのが、高校野球との関わりです。

記録によると、戦後の昭和27年(1952年)に開催された第24回選抜高等学校野球大会(センバツ)の開会式において、この君が代行進曲が入場行進曲として使用されたとされています。

毎日新聞『入場行進曲一覧|選抜高校野球』

1952年はサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を回復した年でもあります。

GHQによる占領期間が終わり、新たなスタートを切る象徴的なタイミングで、国歌をモチーフにしたこの曲が選ばれたことには、何らかの意図があったと推測する声もあります。

球児たちがこの曲に合わせて行進した光景は、当時の人々にとって感慨深いものだったかもしれません。

選抜高校野球の入場行進曲は、その年の流行歌が使われることが通例ですが、過去にはこうした歴史的な経緯で選曲されたこともあったようです。

海上自衛隊における現代の演奏機会

現代の自衛隊音楽隊によって演奏される君が代行進曲と金管楽器

明治時代に生まれたこの楽曲ですが、現在でも完全に過去のものとなったわけではありません。

特に海上自衛隊の音楽隊においては、伝統的なレパートリーの一つとして継承されています。

例えば、近年でも「自衛隊音楽まつり」などのイベントで演奏されることがあります。

令和元年の音楽まつりでは、「希望の歌」といったテーマの中で、他の楽曲と組み合わせて演奏されたという記録もあります。

現代においては、単なる軍楽としての意味合いを超え、歴史的な文化遺産として、あるいは国の平和を願う文脈の中で演奏されているといえそうです。

演奏されるかどうか、どの場面で使われるかは年・部隊・行事の性格で変わるため、最新のプログラムは主催者発表で確認するのが確実です。

吹奏楽での難易度グレードと楽譜

吹奏楽を演奏される方にとって気になるのが、演奏の難易度でしょう。

現在出版されている楽譜の情報を参照すると、君が代行進曲のグレード(難易度)は概ね「2.5」程度とされることが多いようです。

これは、中学校の初級バンドや小編成のバンドでも、基礎的な技術があれば十分に演奏に取り組めるレベルといえます。

極端に高い音域や複雑な変拍子などは使われておらず、行進曲の基本的なスタイルを学ぶのに適した教材という見方もできます。

ただし、ゆったりとしたテンポの中で美しいハーモニーを響かせたり、トリオ部分でのメリハリを表現したりするには、やはりそれなりの表現力が求められるでしょう。

実際に吹奏楽譜として刊行され、所蔵情報を確認できる資料もあります。

国立国会図書館サーチ『君が代行進曲 (名曲バンド楽譜 ; 第1)』

君が代(および関連曲)の楽譜の探し方は選択肢が多いため、入手方法の整理は次の記事でまとめています。

グレード表記は出版社や編曲版で異なるため、あくまで一般的な目安として、正確な難易度は掲載元の楽譜情報で確認してください。

よくある質問:君が代行進曲の演奏・曲名・楽譜

Q
「君が代行進曲」と「君が代マーチ」は同じ曲ですか?
A

同一の楽曲を指して「君が代マーチ」と呼ぶ例があります。資料によって表記が揺れるため、楽譜名や大会記録などの一次記載を優先すると混乱しにくいです。

Q
トリオの「皇国の守り」は、現在も一般に歌われている曲ですか?
A

当時の学校唱歌として広く知られたとされますが、現在の日常で歌われる機会は多くありません。曲名や歌詞に触れるときは、歴史資料としての位置づけと現代の受け止め方が分かれる可能性があります。

Q
君が代行進曲の音源はどこで確認できますか?
A

音源については、陸上自衛隊の公式サイトなどで公開されており、誰でも試聴することが可能です。以下のページに行進曲のリストが掲載されています。

陸上自衛隊:サウンド(行進曲)

知れば深まる君が代行進曲の魅力

君が代行進曲は、吉本光蔵という人物がドイツで学んだ理論と、日本の伝統的な旋律を融合させようとした試行錯誤の結晶といえます。

トリオに込められた「皇国の守り」のメッセージや、軍艦マーチとは異なる荘厳な響きなど、背景を知ることで聴こえ方も変わってくるのではないでしょうか。

機会があれば、ぜひその歴史に思いを馳せながら耳を傾けてみてください。

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