「遠き山に日は落ちて」の歌詞の意味について、詳しく知りたいと思っていませんか。
夕方のチャイムでお馴染みのこの曲ですが、実は「まどいせん」の意味や「今日の技をなし終えて」の意味など、よく知らない部分も多いかもしれません。
また、原曲がドヴォルザークの「新世界より」であることや、日本語の歌詞と原曲の「家路」との違い、そして一部で歌詞が怖いと感じられる理由についても気になるところです。
この記事では、遠き山に日は落ちて 歌詞の意味を徹底的に解説します。
歌詞コピーに便利なひらがな歌詞から、リコーダーで演奏する際の楽譜の情報、キャンプファイヤーで歌われる背景まで、あらゆる疑問にお答えしますので、ぜひ最後までご覧ください。
- 難解な歌詞「まどいせん」などの本当の意味
- 原曲「新世界より」や「家路」との関係性
- 歌詞が「怖い」と言われる理由
- チャイムやキャンプで使われる背景
「遠き山に日は落ちて」歌詞の意味を1番から解説

この章では、「遠き山に日は落ちて」の歌詞について、特に分かりにくいとされるフレーズを中心に、その意味を一つひとつ丁寧に解説していきます。
- 名曲誕生の軌跡
- 「今日の技をなし終えて」の意味
- 「星は空をちりばめぬ」の意味
- 謎の言葉「まどいせん」の意味とは?
- 歌詞が怖いと感じる理由を考察
名曲誕生の軌跡

多くの日本人に親しまれる唱歌『遠き山に日は落ちて』は、チェコ出身の作曲家アントニン・ドヴォルザークが1893年に作曲した交響曲第9番「新世界より」の第2楽章の旋律を原曲としています。
この哀愁漂うメロディは、アメリカ滞在中のドヴォルザークが故郷への強い郷愁を込めたものとされています。
この旋律に最初に歌詞を付けたのは、ドヴォルザークの弟子ウィリアム・アームズ・フィッシャーでした。
1922年に発表された彼の『Goin’ Home(家路)』は、魂が神の元へ帰るという霊的なテーマを持っています。
一方、日本で広く知られる歌詞は、音楽評論家の堀内敬三によって書かれました。
彼は「今日の業(わざ)をなし終えて」「楽しきまどいせん」といった言葉で、一日を終えた安らぎと家族団らんという、日本の日常に根差した平和な情景を描きました。
この歌詞は戦後に普及し、国民的唱歌となります。
さらに、詩人の宮沢賢治も1924年頃に『種山ケ原』という独自の歌詞をこのメロディにつけており、早くから日本の知識人を魅了していたことが窺えます。
「今日の技をなし終えて」の意味

1番の歌詞に登場する「今日の技(わざ)をなし終えて」というフレーズは、少し硬い表現で分かりにくいかもしれません。
ここで言う「今日の業」とは、「今日一日に為すべきこと」や「一日の仕事」を指します。
つまり、この一文は「今日やるべき仕事や作業をすべて終えて」という意味になります。
畑仕事や勉強、家事など、それぞれの立場での一日の務めを果たし、心が解放されて安らいでいる情景が目に浮かぶようです。
「星は空をちりばめぬ」の意味

「星は空をちりばめぬ」の部分も、現代の言葉遣いとは少し異なるため、意味を取りにくいかもしれません。
この「ぬ」は、古語の助動詞で「~した」「~してしまった」という完了の意味を表します。
したがって、「星は空をちりばめぬ」は、「星が空一面に散りばめられた」という意味になります。
日が沈んだ後の夜空に、だんだんと星が輝き始める美しい様子を描写した一節です。
謎の言葉「まどいせん」の意味とは?

この曲の歌詞の中で、最も意味が知られていないのが「まどいせん」ではないでしょうか。
「惑い」「迷い」といった言葉を連想するかもしれませんが、全く違う意味を持っています。
これは「円居せん」と漢字で書きます。
「円居(まどい)」は、人々が輪になって座り、団らんすることを意味します。
そして、「せん」は「~しよう」という意思や誘いを表す古語です。
つまり、「まどいせん」は、「さあ、みんなで輪になって楽しく団らんしよう」と呼びかけている言葉なのです。
一日の仕事を終え、家族や仲間と食卓や囲炉裏、キャンプファイヤーなどを囲む、温かく平和な時間を示唆しています。
歌詞が怖いと感じる理由を考察

この歌に対して、一部で「どこか怖い」という印象を持つ人がいるようです。
その理由として、いくつかの点が考えられます。
第一に、メロディが短調で、どこか物悲しい響きを持つことが挙げられます。
特に夕暮れ時にチャイムで聞くと、一日の終わりという寂しさと相まって、切ない気持ちになることがあります。
第二に、歌詞の意味が分かりにくいことも一因でしょう。
「まどいせん」や「今日の業」といった言葉の意味を知らないと、歌詞全体にミステリアスな雰囲気が漂い、それが怖さにつながることがあります。
最後に、2番の「やみに燃えし かがり火は 炎今は 鎮まりて」という部分です。
闇の中で燃えていた火が静まっていく様子は、静寂や「死」を連想させ、少し不気味に感じる人もいるかもしれません。
しかし、本来は安らかな眠りへ誘う穏やかな情景を描いたものです。
「遠き山に日は落ちて」歌詞の意味と原曲の背景

この歌の歌詞の意味をより深く理解するためには、その成り立ちや原曲について知ることが重要です。
ここでは、楽曲のルーツや文化的背景を掘り下げていきます。
- 原曲はドヴォルザークの新世界より
- 原曲「家路」との歌詞の違い
- 夕方のチャイムで有名な理由
- キャンプファイヤーで歌われる背景
- リコーダー用の楽譜について
- まとめ:遠き山に日は落ちて歌詞の意味を理解しよう
原曲はドヴォルザークの新世界より

『遠き山に日は落ちて』の美しいメロディは、実はチェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークが作曲したクラシック音楽が原曲です。
その曲は、1893年に発表された「交響曲第9番 ホ短調 作品95『新世界より』」の第2楽章「ラルゴ」です。
ドヴォルザークがアメリカに滞在していた時期に、故郷ボヘミアへの郷愁を込めて作曲したとされています。
この郷愁を誘う旋律が、日本の風景や心情にも見事に合致したと言えるでしょう。
ちなみに、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、この『新世界より』の第2楽章や第4楽章がアレンジされて劇中音楽として使用され、話題となりました。
原曲「家路」との歌詞の違い

『新世界より』第2楽章の旋律に、最初に歌詞を付けたのはドヴォルザークの弟子であったウィリアム・アームズ・フィッシャーです。
彼が作詞・編曲した楽曲が『Goin’ Home』、邦題で『家路』として知られています。
しかし、『家路』の歌詞と、堀内敬三による『遠き山に日は落ちて』の歌詞では、描かれている世界観が大きく異なります。
項目 | 家路 (Goin’ Home) | 遠き山に日は落ちて |
---|---|---|
作詞者 | W. A. フィッシャー | 堀内敬三 |
テーマ | 霊的な故郷への帰還 | 日常の暮らしと安らぎ |
視点 | 人生の終わりに天上の故郷へ帰る魂 | 一日の終わりを安らかに過ごす人々 |
雰囲気 | 荘厳、スピリチュアル | ノスタルジック、平和 |
このように、『家路』がキリスト教的な死生観に基づき、魂が神の御許へ還る「天上の故郷」を歌っているのに対し、『遠き山に日は落ちて』は日本のどこにでもあるような一日の終わりの風景と、家族の団らんという現世での幸せを描いています。
同じメロディでありながら、歌詞によって全く異なる意味を持つ歌になっている点は非常に興味深いです。
夕方のチャイムで有名な理由

多くの市町村で、夕方の防災行政無線(チャイム)としてこの曲が使われています。
これには明確な理由があります。
最大の理由は、歌詞の冒頭が「遠き山に日は落ちて」であることです。
このフレーズが、まさに夕暮れの情景そのものを表しているため、子どもたちに帰宅を促す時間帯の合図として最適だと考えられました。
また、ゆったりとした郷愁を誘うメロディが、慌ただしい一日の終わりに安らぎを与え、人々の心を落ち着かせる効果も持っています。
このような理由から、夕方を告げる音楽として広く定着しました。
キャンプファイヤーで歌われる背景

この歌は、学校のキャンプやボーイスカウトなどで、キャンプファイヤーを囲んで歌われる定番曲でもあります。
これは、歌詞の内容がキャンプファイヤーの情景と見事に一致するからです。
2番の「やみに燃えし かがり火は」という部分は燃え盛るキャンプファイヤーを連想させ、1番の「いざや 楽しき まどいせん」は、火を囲んでみんなで輪になって楽しもう、という呼びかけに他なりません。
楽しい一日の活動を終え、静かな夜の訪れと共に火を囲みながらこの歌を歌うことで、一体感と安らかな気持ちを共有できるため、定番曲として愛され続けています。
リコーダー用の楽譜について

『遠き山に日は落ちて』は、小学校の音楽の授業でリコーダーの練習曲として扱われることも多いです。
楽譜を探す場合、いくつかの方法があります。
まず、音楽の教科書に掲載されていることが多いでしょう。
また、市販されているリコーダー用の楽譜集や、童謡・唱歌の楽譜集にも収録されている可能性が高いです。
インターネット上で無料の楽譜を探す方もいるかもしれませんが、注意が必要です。
原曲の作曲者ドヴォルザークの著作権は消滅していますが、日本語の歌詞を作詞した堀内敬三氏(1897-1982)の著作権は、現在も有効です。
そのため、歌詞付きの楽譜をインターネット上で公開・利用する際は、JASRAC(日本音楽著作権協会)など、著作権管理団体の許諾を得ているウェブサイトかどうかを確認することが重要になります。
まとめ:遠き山に日は落ちて歌詞の意味を理解しよう

- 『遠き山に日は落ちて』は夕方のチャイムやキャンプファイヤーでお馴染みの唱歌
- 歌詞は文語的で「今日の業」や「まどいせん」など意味が分かりにくい部分がある
- 「今日の業」は「一日の仕事」や「今日やるべきこと」を意味する
- 「星は空をちりばめぬ」は「星が空に散りばめられた」という完了形
- 「まどいせん」は「円居せん」と書き、「輪になって団らんしよう」という意味
- 原曲はドヴォルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」第2楽章
- ドヴォルザークの弟子フィッシャーが作詞したのが原曲『家路』(Goin’ Home)
- 『家路』は魂が天国へ帰るという霊的なテーマを持つ
- 日本語の歌詞は作詞家・堀内敬三によるもので、日常の平和な情景を描いている
- 同じメロディでも歌詞によってテーマや視点が全く異なる
- 歌詞が「怖い」と感じられるのは、短調の物悲しいメロディなどが理由
- 夕方のチャイムで使われるのは、歌詞が夕暮れの情景に合っているから
- キャンプファイヤーで歌われるのは、「かがり火」や「まどい」の歌詞が情景に合うため
- 作詞者・堀内敬三の著作権は存続しているため、楽譜の利用には注意が必要
- この歌は一日の終わりを安らかに過ごす、日本の原風景を描いた名曲である