イスラエル国歌について調べていると、どこか悲しいメロディや、有名なクラシック曲であるモルダウとの関連性が気になったことはありませんか。
実は、この国歌ハティクヴァには、ユダヤ民族の長い歴史と深い意味が込められています。
この記事では、多くの人が疑問に思うイスラエル国歌の謎について、歌詞の日本語訳やカタカナでの歌い方、そして歌詞の意味から、なぜ似てる曲が存在するのか、その元ネタや作曲家の背景まで、詳しく解説します。
さらに、国旗の六芒星との関係や、日本で話題になった経緯、楽譜の探し方にも触れていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
- イスラエル国歌「ハティクヴァ」の歌詞と意味
- なぜメロディが「悲しい」と感じられるのか
- 有名な「モルダウ」と似ている曲と言われる理由
- 国歌の元ネタや作曲家、歴史的背景
イスラエル国歌「ハティクヴァ」の基本情報

- 国歌の正式名称ハティクヴァ
- 歌詞の日本語訳とカタカナでの歌い方
- 歌詞の意味と国歌全体の意味を解説
- 国旗の六芒星に込められた願い
- 国歌の作詞家と作曲家について
国歌の正式名称ハティクヴァ

イスラエル国歌の正式名称は「ハティクヴァ」(ヘブライ語: הַתִּקְוָה)です。
この言葉はヘブライ語で「希望」を意味しており、その名の通り、希望を歌い上げた楽曲となっています。
この歌が「希望」と名付けられたのには、ユダヤ民族の歴史が深く関わっています。
約2000年もの間、故郷を離れて世界中に離散(ディアスポラ)していたユダヤの人々が、いつか約束の地「シオン」に帰還するという切なる願いを持っていました。
この長年の夢、すなわち祖国建国への希望が、国歌の根幹をなしているのです。
元々はシオニズム運動(ユダヤ人の故郷帰還運動)の賛美歌として歌われていましたが、1948年のイスラエル建国時に事実上の国歌として採用され、2004年に正式に法律で国歌として定められました。
歌詞の日本語訳とカタカナでの歌い方

イスラエル国歌「ハティクヴァ」をより深く理解するために、歌詞を見ていきましょう。
ここでは、ヘブライ語の原詞、歌うためのカタカナ表記、そして日本語訳を一覧にまとめました。
メロディと共に歌詞を追うことで、曲に込められた感情がより伝わってきます。
ヘブライ語原詩 | カタカナ表記 | 日本語訳 |
---|---|---|
כָּל עוֹד בַּלֵּבָב פְּנִימָה | コル オド バレヴァヴ ペニマ | 心に秘めて今もなお |
נֶפֶשׁ יְהוּדִי הוֹמִיָּה | ネフェッシュ イェフディ ホミヤ | ユダヤの魂は呼んでいる |
וּלְפַאֲתֵי מִזְרָח קָדִימָה | ウルファアテイ ミズラッハ カディマ | 東の岸へ、前向きに |
עַיִן לְצִיּוֹן צוֹפיָּה | アイン レツィヨン ツォフィヤ | 目はシオンを目指してる |
עוֹד לֹא אָבְדָה תִּקְוָתֵנוּ | オド ロ アヴダ ティクヴァテイヌ | 我らの希望、失われず |
הַתִּקְוָה בָּת שְׁנוֹת אַלְפַּיִם | ハティクヴァ バット シュノット アルパイム | 2000年の希望とは |
לִהְיוֹת עַם חָפְשִׁי בְּאַרְצֵנוּ | リイヨット アム ホフシ ベアルツェイヌ | 自由の民として生きること |
אֶרֶץ צִיּוֹן וִירוּשָׁלַיִם | エレツ ツィヨン ヴィルシャライム | シオン、エルサレムの地において |
歌う際は、最後の2行(「リイヨット~」から)を繰り返すのが一般的です。
歌詞の意味と国歌全体の意味を解説

「ハティクヴァ」の歌詞は、ユダヤ民族の魂の叫びそのものです。
一見シンプルに見える言葉の中には、数千年にわたる歴史と民族の願いが凝縮されています。
まず、歌詞全体を貫くテーマは「シオンへの帰還」です。
シオンとは、元々はエルサレム内の特定の丘を指す言葉でしたが、次第にエルサレム全体、さらにはイスラエルの地そのものを象徴する言葉となりました。
「東の岸へ、前向きに、目はシオンを目指してる」という一節は、世界のどこにいてもユダヤ人の心は常に故郷へ向いている、という強い意志を表しています。
また、「2000年の希望」という言葉は、ローマ帝国によって故郷を追われた西暦70年から、イスラエルが建国される1948年までのおよそ2000年間の離散の歴史を指します。
この長大な期間、彼らは自分たちの国を持たず、時には迫害を受けながらも、「自由の民として自分たちの土地で生きる」という希望を失わなかったのです。
このように、国歌全体として、過去の苦難を乗り越え、未来への揺るぎない希望を歌い上げる、非常に力強いメッセージが込められています。
国旗の六芒星に込められた願い

イスラエルの国旗と国歌「ハティクヴァ」は、共にユダヤ民族のアイデンティティと希望を象徴する、密接な関係にあります。
国旗の中央に描かれている青い星は「六芒星」、通称「ダビデの星」として世界的に知られています。
このシンボルがいつからユダヤ民族の象徴として使われるようになったかについては諸説ありますが、古くからユダヤ人コミュニティのシンボルとして用いられてきました。
特に19世紀以降、シオニズム運動の象徴として広く認知されるようになります。
国旗の上下にある2本の青い帯は、「タリート」と呼ばれるユダヤ教の祈祷用ショールの縞模様をモチーフにしていると言われています。
つまり、国旗全体がユダヤの伝統と信仰を表現しているのです。
国歌「ハティクヴァ」が歌う「シオンとエルサレムの地」への帰還という民族の願いと、国旗が示すユダヤの伝統とアイデンティティ。
この二つは、形は違えど「我々は誰であり、どこへ向かうのか」という同じ問いに対する答えであり、イスラエルという国家の精神的な支柱となっています。
国歌の作詞家と作曲家について

「ハティクヴァ」の誕生には、二人の人物が大きく関わっています。
作詞家:ナフタリ・ヘルツ・インベル
歌詞の元となる詩『ティクヴァテイヌ』(我らの希望)を書いたのは、ナフタリ・ヘルツ・インベル(1856-1909)です。
彼は現在のウクライナにあたるガリツィア出身のヘブライ語詩人でした。
彼の人生は波乱に満ちており、各地を放浪した末にニューヨークでアルコール依存症が原因で亡くなったとされています。
国歌の作詞家としては少し意外な経歴かもしれませんが、彼の書いた詩が多くのユダヤ人の心を捉え、希望の歌として歌い継がれていくことになりました。
作曲家:サミュエル・コーエン
この詩に美しい旋律を付けたのが、サミュエル・コーエン(1870-1940)です。
彼は現在のルーマニアやモルドバにあたるベッサラビアからの移民でした。
彼は故郷で親しまれていたモルダヴィア民謡を基に、インベルの詩に曲を付けたとされています。
このメロディが、後に「モルダウ」との類似性で注目されることになります。
さらに、この曲は1897年に作曲家パウル・ベン=ハイムによって管弦楽曲に編曲され、より荘厳な国歌としての形を整えていきました。
イスラエル国歌と似てる曲「モルダウ」の関係

- なぜメロディが悲しいと言われるのか
- 似てる曲の元ネタはモルダヴィア民謡
- モルダウとの驚くべき共通点
- 日本でイスラエル国歌が話題になった理由
- イスラエル国歌の楽譜の探し方
なぜメロディが悲しいと言われるのか

「ハティクヴァ」を聴いた多くの人が、勇ましさや明るさよりも、どこか切なく「悲しい」という印象を受けるのは、この曲が「短調(マイナースケール)」で構成されているためです。
音楽の世界では、一般的に長調(メジャースケール)は明るく、喜びに満ちた雰囲気を、短調は哀愁や切なさ、悲しみといった感情を表現するのに使われることが多いです。
世界の国歌の大半は、国の威厳や栄光を示すために勇ましい長調で作られていますが、「ハティクヴァ」は少数派の短調国歌の一つです。
この短調のメロディは、単に悲しいというだけではありません。
そこには、前述の通りユダヤ民族が歩んできた迫害や離散といった苦難の歴史、そして故郷への焦がれるような切なる願いが反映されています。
そのため、メロディが持つ哀愁は、深い祈りや静かな希望の力強さを感じさせ、聴く人の心に強く響くのです。
似てる曲の元ネタはモルダヴィア民謡

イスラエル国歌と、後述するクラシックの名曲「モルダウ」のメロディがなぜこれほど似ているのか。
その最大の理由は、両者が同じ「元ネタ」をルーツに持つという説が有力だからです。
その元ネタとは、東欧のモルダヴィア地方(現在のルーマニア、モルドバ周辺)で歌い継がれてきた民謡だと考えられています。
具体的な曲名としては『Cucuruz cu frunza-n sus』(葉のついたトウモロコシ)や『Carul cu Boi』(牛の荷車)などが挙げられます。
「ハティクヴァ」の作曲者サミュエル・コーエンがこのモルダヴィア地方の出身であることから、彼が故郷で親しんでいた民謡の旋律を基に曲を作ったと考えるのは非常に自然な流れです。
また、別の説として、この旋律の起源はさらに古く、16世紀イタリアのテノール歌手ジュゼッペ・チェンチが作曲した『ラ・マントヴァーナ』という歌曲にまで遡るという情報もあります。
この美しいメロディが、長い年月をかけてヨーロッパ各地に伝播し、様々な民謡や楽曲に取り入れられていったのかもしれません。
モルダウとの驚くべき共通点

「ハティクヴァ」に最も似ている曲として知られているのが、チェコの国民的作曲家ベドルジハ・スメタナ(1824-1884)が作曲した連作交響詩『わが祖国』の中の第2曲、「モルダウ」(チェコ語では「ヴルタヴァ」)です。
「モルダウ」の有名な主題のメロディと「ハティクヴァ」を聴き比べると、その酷似ぶりに驚くことでしょう。
これは盗作や偶然の一致ではなく、前述の通り、両者が同じ民謡をルーツに持つためと考えられています。
スメタナは、チェコの民族独立の機運が高まる中で、自国の自然や伝説を音楽で表現しようとしました。
「モルダウ」は、プラハの街を流れるヴルタヴァ川の情景を描いたものですが、その旋律にはチェコの民族音楽の要素が色濃く反映されています。
彼もまた、ボヘミア地方に伝わる民謡を研究する中で、この印象的な旋律を取り入れたのです。
ユダヤの希望を歌う国歌と、チェコの祖国愛を表現する交響詩。
全く異なる背景を持つ二つの名曲が、同じ旋律の源流を共有しているというのは、音楽の持つ不思議な魅力を感じさせます。
日本でイスラエル国歌が話題になった理由

日本でイスラエル国歌「ハティクヴァ」が広く知られるきっかけとなったのは、主に野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のような国際的なスポーツ大会です。
特に2017年に開催された第4回WBCで、日本代表がイスラエル代表と対戦した際、試合前の国歌演奏で「ハティクヴァ」が流れました。
その時、多くの視聴者が「この曲、音楽の授業で習った『モルダウ』にそっくりだ」とSNSなどで一斉に反応し、大きな話題となったのです。
日本の学校教育では「モルダウ」が鑑賞教材として扱われることが多く、多くの人にとって馴染み深いメロディです。
そのため、国歌として流れた旋律との類似性は非常に印象的で、「なぜ似ているのか」「盗作なのか」といった関心を一気に集めました。
この出来事をきっかけに、「ハティクヴァ」の背景にある歴史や意味、そして「モルダウ」との関係性がメディアで解説されるようになり、日本におけるイスラエル国歌の認知度を大きく高めることになりました。
イスラエル国歌の楽譜の探し方

「ハティクヴァ」を自分で演奏したり歌ったりしてみたい場合、楽譜は比較的簡単に見つけることができます。
最も手軽な方法は、インターネット上で無料公開されている楽譜を探すことです。
「IMSLP(国際楽譜ライブラリープロジェクト)」のような、著作権が消滅したパブリックドメインの楽譜を集めたウェブサイトでは、「Hatikvah」と検索すれば、ピアノ譜や様々な楽器用の編曲譜が見つかる可能性があります。
また、YouTubeなどの動画サイトでは、演奏動画と共に楽譜を表示してくれるものや、弾き方を解説するチュートリアル動画も数多く投稿されています。
これらはメロディを確認したり、簡単な伴奏を学んだりするのに役立ちます。
本格的な合唱譜やオーケストラ用のスコアが必要な場合は、楽器店やオンラインの楽譜販売サイトで探すと良いでしょう。
ただし、編曲者によって難易度や調が異なる場合があるため、購入の際は内容をよく確認することをおすすめします。
まとめ:イスラエル国歌が象徴するもの

- イスラエル国歌の名称はハティクヴァ
- ハティクヴァはヘブライ語で希望を意味する
- 作詞はナフタリ・ヘルツ・インベル
- 作曲はサミュエル・コーエン
- 元の詩は「ティクヴァテイヌ(我らの希望)」
- 歌詞は2000年来の祖国への帰還を歌う
- ユダヤの魂がシオンとエルサレムを目指す内容
- 短調で構成され悲しい印象を与える
- この悲しさは苦難の歴史と切なる願いの表れ
- チェコの作曲家スメタナのモルダウと酷似
- 似ている理由は共通の元ネタを持つため
- 元ネタはモルダヴィア民謡という説が有力
- イタリアの古い歌曲が起源という説もある
- 国旗の六芒星と共にユダヤの象徴
- 日本でもWBCなどを機に話題となった