フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞には、戦闘的な表現や革命精神が強く込められていますが、その背景を深く理解している人は少ないかもしれません。
この歌詞がどのようにフランス革命と結びつき、国民に与えた影響は何でしょうか?
この記事では、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞の和訳とその歴史的背景、また「マルセイユと国歌の関係」や「国歌の元ネタ」について詳しく解説します。
この記事を読むことで、国歌がどのようにフランスの歴史や文化に影響を与えたのか、さらに深く理解できるでしょう。
- フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞の和訳と解説が理解できる
- フランス国歌の歴史的背景とその変遷が分かる
- マルセイユと国歌の関係について理解できる
- 「ラ・マルセイエーズ」の歌詞がフランス革命とどのように結びついているかが分かる
フランス国歌の歌詞とその意味を解説

- フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歴史
- 国歌の元ネタはどこから?
- マルセイユと国歌の関係とは
- 国歌の歌詞(原文・カタカナ表記・和訳)
- 意味をわかりやすく解説
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歴史
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は、フランス革命期に生まれた戦意高揚のための軍歌です。
1792年、フランス革命政府がオーストリアに宣戦布告した際、ストラスブールの駐屯地で工兵大尉のクロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リールがこの曲を一夜で作詞・作曲しました。
彼は地元の市長フィリップ=フレデリク・ド・ディートリヒの要望に応じ、戦場へ向かう兵士たちの士気を鼓舞するためにこの歌を作ったとされています。
当初のタイトルは「ライン軍のための軍歌」でしたが、フランス国内で急速に広まり、特にマルセイユの義勇兵がこの歌を歌いながらパリに進軍したことで「マルセイユの歌(ラ・マルセイエーズ)」と呼ばれるようになりました。
1795年、国民公会はこの曲を正式にフランスの国歌と定めました。
しかし、ナポレオンが皇帝に即位すると、王政を否定するような歌詞が問題視され、代わりに「門出の歌」が国歌として採用されました。
ナポレオン失脚後、復古王政が始まると「ラ・マルセイエーズ」はさらに弾圧され、演奏や歌唱が禁止されました。
しかし、1830年の七月革命後、再び許可されるようになります。
同時に、作曲家のベルリオーズによる壮大なオーケストラ編曲版が発表されました。
この編曲版は現在でも演奏される機会が多く、フランス国民に深く浸透しています。
第二帝政の時代(ナポレオン3世統治下)には再び禁止されましたが、第三共和政の成立とともに復活し、1879年には再び正式な国歌に制定されました。
その後、1946年の第四共和政憲法と1958年の第五共和政憲法にも「フランスの国歌はラ・マルセイエーズである」と明記され、現在に至ります。
また、歴史の中で「ラ・マルセイエーズ」は、革命の象徴として国際的にも影響を与えました。
19世紀のヨーロッパでは自由と独立の象徴として各地の革命運動で歌われ、1917年のロシア革命ではロシア語版が国歌として採用されたこともあります。
さらに、第二次世界大戦後のフランスでは、ナチス・ドイツへのレジスタンス活動においても広く歌われました。
2015年のパリ同時多発テロの際には、犠牲者を追悼し国民の結束を示すために国会議員が自発的に斉唱する場面が見られました。
このように「ラ・マルセイエーズ」は、戦争や革命、危機の中でフランス国民の精神的な支柱として機能し続けています。
国歌の元ネタはどこから?
「ラ・マルセイエーズ」は完全なオリジナル曲ではなく、いくつかの音楽的影響を受けて誕生しました。
まず、作曲者とされるクロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リールは、当時の軍楽や革命歌を参考にして作曲したと考えられています。
そのため、旋律やリズムには18世紀の軍楽の特徴が見られます。
特に、フランス軍で使用されていた「ライン軍の行進曲」との類似が指摘されることがあります。
また、「ラ・マルセイエーズ」のメロディーは、当時のウィーン古典派の音楽にも影響を受けている可能性があります。
一部の研究者は、この曲の旋律がハイドンやモーツァルトの作品と似ていると指摘しています。
さらに、同時代の作曲家イグナツ・プライエルがルジェ・ド・リールの詩に曲をつけた別の楽曲「自由への賛歌」と類似点が多いことから、プライエルが作曲に関与したのではないかという説もあります。
歴史的な観点から見ると、「ラ・マルセイエーズ」は単なる軍歌ではなく、フランス革命の思想を象徴する楽曲として広まった点が重要です。
その歌詞には、「暴君を倒せ」「自由を守れ」といった革命の理念が色濃く反映されており、他国の国歌と比べても特に戦闘的な内容が特徴的です。
この歌詞の影響は、後の「インターナショナル」や「パルチザンの歌」などの革命歌にも及んでいます。
さらに、「ラ・マルセイエーズ」はフランス国内だけでなく、他国の音楽にも影響を与えました。
例えば、チャイコフスキーの「序曲1812年」では、フランス軍の象徴としてこのメロディーが用いられています。
一方、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の「民衆の歌」にも影響を与えているとされ、フランス革命と音楽の結びつきを示す代表的な楽曲となっています。
マルセイユと国歌の関係とは
「ラ・マルセイエーズ」が現在の名称で呼ばれるようになったのは、フランス南部の都市マルセイユが深く関係しています。
この曲が誕生したのはストラスブールですが、国歌として広く認知されるようになったのは、1792年にマルセイユの義勇兵がこの歌を隊列で歌いながらパリへ進軍したことがきっかけです。
彼らは「マルセイユ連盟兵」と呼ばれ、革命の象徴としてパリの人々に歓迎されました。
このときに歌われたことで「マルセイユの歌(ラ・マルセイエーズ)」という名称が定着しました。
マルセイユは当時、革命の精神を強く持つ都市の一つでした。
特にフランス革命初期には、王政を打倒し共和制を支持する運動が盛んに行われており、多くの市民が義勇兵として戦いに参加しました。
このような背景から、彼らが自然と革命の軍歌を取り入れたのは当然の流れだったといえます。
また、マルセイユの市民はフランス革命に積極的に関与しており、パリに入城した際にはテュイルリー宮殿の襲撃にも加わりました。
彼らはフランス全土に「自由、平等、友愛」という革命のスローガンを広める役割を果たしました。
この影響は後のフランスの政治や社会運動にも引き継がれ、「ラ・マルセイエーズ」が単なる軍歌ではなく、国民の団結を象徴する存在となった理由の一つでもあります。
現在でも、フランスでは国家的な行事やスポーツの国際試合などで「ラ・マルセイエーズ」が歌われますが、その起源がマルセイユの義勇兵にあることを知っている人は意外に少ないかもしれません。
しかし、この都市と国歌の深い結びつきは、フランス革命の歴史を語る上で欠かせない要素であり、今日まで受け継がれています。
フランス国歌の歌詞(原文・カタカナ表記・和訳)
ここでは、ラ・マルセイエーズの和訳とその意味を詳しく解説します。
第1節
Allons enfants de la Patrie,
Le jour de gloire est arrivé !
Contre nous de la tyrannie
L’étendard sanglant est levé, (bis)
Entendez-vous dans les campagnes
Mugir ces féroces soldats ?
Ils viennent jusque dans vos bras
Égorger vos fils, vos compagnes !
カタカナ
アロン ザンファン ドゥ ラ パトリ
ル ジュール ドゥ グロワール エ タリヴェ
コントル ヌー ドゥ ラ ティラニー
レタンダール サングラン エ ルヴェ (×2)
アンタンデ ヴー ダン レ カンパーニュ
ミュジール セ フェロス ソルダ
イル ヴィエンヌ ジュスク ダン ヴォ ブラ
エゴルジェ ヴォ フィス ヴォ コンパーニュ
和訳
行こう、祖国の子供たちよ、
栄光の日が来た!
我らに対して、暴政の
血塗られた旗が掲げられた、(×2)
聞こえるか、野に響く
あの残忍な兵士たちの咆哮が?
奴らは君たちの腕の中にまで来て
君たちの息子や妻たちの喉を掻き切る!
リフレイン
Aux armes, citoyens,
Formez vos bataillons,
Marchons, marchons !
Qu’un sang impur
Abreuve nos sillons !
カタカナ
オ ザルム シトワイヤン
フォルメ ヴォ バタリオン
マルション マルション
カン サンガンピュール
アブルーヴ ノ シヨン
和訳
武器を取れ、市民たちよ、
隊列を組め、
進め、進め!
汚れた血が
我々の畑を潤すまで!
第2節
Que veut cette horde d’esclaves,
De traîtres, de rois conjurés ?
Pour qui ces ignobles entraves,
Ces fers dès longtemps préparés ?
Ces fers dès longtemps préparés ?
Français, pour nous, ah ! quel outrage
Quels transports il doit exciter !
C’est nous qu’on ose méditer
De rendre à l’antique esclavage !
カタカナ
ク ヴ セット オルド デスクラーヴ
ドゥ トレートル ドゥ ロワ コンジュレ
プール キ セ ザニョーブル アントラーヴ
セ フェール デ ロンタン プレパレ
セ フェール デ ロンタン プレパレ
フランセ プール ヌー ア ケル ウトラージュ
ケル トランスポール ティ ドワ エクスィテ
セ ヌー コン オズ メディテ
ドゥ ランドル ア ランティク エスクリタージュ
和訳
この奴隷の群れ、
裏切り者たち、結託した王たちは何を望むのか?
誰のためにこの卑劣な束縛、
長らく準備されたこの鎖はあるのか?(×2)
フランス人よ、我らにとって、ああ、なんという侮辱、
どれほどの激情を引き起こすことか!
我らを再び古の奴隷状態に戻そうと
企むとは!
第3節
Quoi ! des cohortes étrangères
Feraient la loi dans nos foyers !
Quoi ! ces phalanges mercenaires
Terrasseraient nos fiers guerriers ! (bis)
Grand Dieu ! par des mains enchaînées
Nos fronts sous le joug se ploieraient
De vils despotes deviendraient
Les maîtres de nos destinées !
カタカナ
クワ デ コオルト エトランジェール
フェレ ラ ロワ ダン ノ フォワイエ
クワ セ ファランジュ メルスネール
テラスレ ノ フィエール ゲリエ (×2)
グラン デュー パール デ メン ザンシェネ
ノ フロン ス ル ジュー ス プロワレ
ドゥ ヴィル デスポット ドゥヴィエンドレ
レ メートル ドゥ ノ デスティネ
和訳
何と!外国の部隊が
我らの家で法を作るのか!
何と!これらの傭兵の軍勢が
我らの誇り高き戦士たちを打ち倒すのか!(×2)
偉大なる神よ!縛られた手によって
我らの額は屈辱の下に屈するのか
卑劣な暴君たちが
我らの運命の支配者となるのか!
第4節
Tremblez, tyrans et vous perfides
L’opprobre de tous les partis,
Tremblez ! vos projets parricides
Vont enfin recevoir leurs prix ! (bis)
Tout est soldat pour vous combattre,
S’ils tombent, nos jeunes héros,
La terre en produit de nouveaux,
Contre vous tout prêts à se battre !
カタカナ
トランブレ ティラン エ ヴ ペルフィド
ロプローブル ドゥ トゥ レ パルティ
トランブレ ヴォ プロジェ パリシード
ヴォン タンファン ルスヴォワール ルール プリ(×2)
トゥ エ ソルダ プール ヴ コンバートル
スィル トンブ ノ ジュヌ エロー
ラ テール アン プロデュイ ドゥ ヌーヴォー
コントル ヴ トゥ プレ ア セ バートル
和訳
震えろ、暴君ども、裏切り者たちよ、
すべての党派の恥さらしめ!
震えろ! お前たちの親殺しのたくらみは、
ついにその報いを受けるのだ!(×2)
誰もが兵士だ、お前たちと戦うために、
たとえ若き英雄たちが倒れようと、
大地は新たな戦士を生み出す、
お前たちに立ち向かう者たちを!
第5節
Français, en guerriers magnanimes,
Portez ou retenez vos coups !
Épargnez ces tristes victimes,
À regret s’armant contre nous. (bis)
Mais ces despotes sanguinaires,
Mais ces complices de Bouillé,
Tous ces tigres qui, sans pitié,
Déchirent le sein de leur mère !
カタカナ
フランセ アン ゲリエ マニャニーム
ポルテ ウ ルトヌ ヴォ クー
エパルニェ セ トリスト ヴィクティム
ア ルグレ サルマン コントル ヌー(×2)
メ セ デスポット サンギネール
メ セ コンプリス ドゥ ブイエ
トゥ セ ティーグル キ サン ピティエ
デシール ル サン ドゥ ルール メール
和訳
フランス人よ、心高き戦士たちよ、
その一撃を放て、あるいはこらえよ!
悲しき被害者たちには情けを、
しぶしぶ武器をとった者たちには。(×2)
だが、あの血に飢えた暴君ども、
ブイエの共犯者たち、
そして情け容赦なく
母なる祖国の胸を引き裂く虎どもには!
第6節
Amour sacré de la Patrie,
Conduis, soutiens nos bras vengeurs
Liberté, Liberté chérie,
Combats avec tes défenseurs ! (bis)
Sous nos drapeaux que la victoire
Accoure à tes mâles accents,
Que tes ennemis expirants
Voient ton triomphe et notre gloire !
カタカナ
アムール サクレ ドゥ ラ パトリ
コンドゥイ スティヤン ノ ブラ ヴァンジャー
リベルテ リベルテ シェリ
コンバ アヴェク テ デファンスール(×2)
ス ノ ドゥラポ ケ ラ ヴィクトワール
アクール ア テ マル ザクサン
ケ テ ゾナミ エクスピラン
ヴォワ トン トリオンフ エ ノートル グロワール
和訳
祖国への神聖な愛よ、
我らの復讐の腕を導き、支えてくれ!
自由よ、愛しい自由よ、
お前の守り手たちとともに戦え!(×2)
我らの旗の下に、勝利が走り寄り、
お前の男らしき叫びにこたえるように、
そしてお前の敵たちが息絶えながら、
お前の勝利と我らの栄光を目にするように!
第7節
Nous entrerons dans la carrière
Quand nos aînés n’y seront plus,
Nous y trouverons leur poussière
Et la trace de leurs vertus ! (bis)
Bien moins jaloux de leur survivre
Que de partager leur cercueil,
Nous aurons le sublime orgueil
De les venger ou de les suivre.
カタカナ
ヌ ザントゥルロン ダン ラ カリエール
カン ノ ゼネ ニ スロン プリュ
ヌ ズィ トルヴロン ルール プシエール
エ ラ トラス ドゥ ルール ヴェルテュ(×2)
ビヤン モワン ジャルー ドゥ ルール スルヴィーヴル
ク ドゥ パルタジェ ルール セルクイユ
ヌ ザロン ル スブリーム オルグイユ
ドゥ レ ヴァンジェ ウ ドゥ レ スュイーヴル
和訳
我らは戦いの場に進みゆく、
年長者たちがそこにいなくなったときには;
そこに彼らの遺灰を見いだし、
彼らの美徳の足跡をたどるのだ。(×2)
彼らの生き残りに嫉妬するよりも、
その棺をともにすることを望み、
我らは崇高な誇りを持とう、
彼らの復讐を果たし、あるいはそのあとに続くことを!
これが「ラ・マルセイエーズ」の全歌詞とその和訳です。
歌詞の中で表現されているのは、フランス革命の精神と、自由を求めて戦う強い意志、また国家のために命を捧げる覚悟です。
特に戦闘的な表現や、暴君に対する激しい反発が特徴的で、当時のフランスの社会と政治的背景を色濃く反映しています。
出典 Présidence de la République française. La Marseillaise.
歌詞の意味をわかりやすく解説
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は、1792年のフランス革命時に作られた歌で、現在もフランスの国歌として使われています。
最初の部分では、「祖国の子供たちよ、行こう」と民衆に向けて呼びかけが始まります。
暴政の血に染まった旗が掲げられ、敵が攻め込もうとしている状況を描いています。
「君たちの息子や妻たちの喉を掻き切る」といった強烈な表現は、敵の残虐さと緊急性を強く印象づけます。
これは、国を守るために立ち上がらなければならないというメッセージです。
ただ、暴力的な描写が多いため、現代では一部で批判的な意見も見られます。
次に登場するのは、裏切り者や外国の王たちのたくらみです。
長年準備されていた鎖は、民衆を再び奴隷状態に戻そうとするものであり、これに対して「なんという侮辱だ」と怒りが爆発します。
自由を奪われることへの屈辱と、民衆の誇りの強さを象徴しています。
続く節では、外国の軍隊がフランス国内で法律を作ろうとする不当さや、傭兵がフランス兵を倒そうとする様子が語られます。
「神よ、我らが支配されるのか」と、宗教的な助けを求めながらも、自国の自由を脅かす存在への強い抵抗を示しています。
さらに、暴君や裏切り者たちに向けて「震えろ」と呼びかける場面もあります。
悪事を働く者たちには必ず報いがあるという信念が込められています。
ここで注目すべきは、「若き英雄が倒れても、大地が新たな戦士を生み出す」という表現です。
これは、自由を守る意志が次世代に受け継がれていくという希望を示しています。
戦う中でも、ただ無差別に敵を傷つけるのではなく、「悲しき被害者たちには情けを」と語られる部分もあります。
しぶしぶ敵となった者たちには理解を示し、本当の敵は「血に飢えた暴君たち」であると区別しています。この節では、人道的な視点も読み取れます。
祖国への愛と自由への情熱は、最後の節で最も鮮明になります。
「祖国への神聖な愛よ、我らの復讐の腕を導け」と呼びかけ、自由とともに戦うことが誇りであると語ります。
戦いの先にある勝利と栄光が目指すべき未来として描かれています。
最後には、戦いに命をかけた先人たちの跡を継ぐ覚悟が語られます。
彼らの美徳を胸に、もし死ぬことがあってもそれを誇りとするという覚悟が伝わってきます。
単なる愛国心ではなく、世代を超えた責任とつながりが強調されています。
全体を通して、この国歌は非常に戦闘的で感情のこもった内容になっています。
自由を得るために流された血や、仲間への誇り、敵への怒りなど、フランス革命という時代背景が色濃く反映されています。
勇ましさの一方で、過激な表現には注意が必要であり、現代においてどのように扱うかは慎重さも求められます。
フランス国歌の歌詞 意外な一面とは?

- フランス国歌の歌詞が怖いと言われる理由
- 歴史の中で変化したフランス国歌
- フランス国歌の役割と国民の意識
- フランス国歌の歌詞が他の曲に与えた影響
フランス国歌の歌詞が怖いと言われる理由
「ラ・マルセイエーズ」が怖いと言われる理由の一つは、その歌詞に強烈な戦闘的な表現が含まれているからです。
歌詞の中には、敵兵を「残忍な兵士」と表現し、「我々の畑に血が流れることを望む」といった過激なフレーズがあります。
特に、第2節や第3節の歌詞には戦闘の激しさが描かれ、敵を倒し、血を流すことを奨励するような内容が続きます。
例えば、「汚れた血が我らの畝を満たすまで」といった表現は、直接的に敵を排除することを望む言葉であり、革命という過酷な状況で生まれた歌として、その時代の精神が色濃く反映されています。
また、この歌詞が怖いと感じられるもう一つの理由は、国家として国民に対して戦いを奨励する内容が含まれている点です。
特に「武器を取れ、市民よ、隊列を組め!」という命令的な表現は、戦争の正当化を歌い、民衆に戦いに赴くことを呼びかけているため、平和的な視点からは非常に強烈に感じられることがあります。
これにより、「ラ・マルセイエーズ」を聞いたり歌ったりする際に、歴史的な背景を知っている人々にとっては、戦争を引き起こした不穏な歌詞として認識されることがあります。
さらに、歌詞全体を通して革命の精神を強調し、自由や平等を求めて戦うというテーマが一貫しているものの、その過程で「暴君を倒せ」や「自由を守れ」といった呼びかけが過激に表現され、平和的な歌として捉えるには難しい部分もあります。
特に現代の視点から見ると、戦争を鼓舞するような歌詞は不安を感じさせることも多く、「怖い」と感じる人が多い理由はそのような点にあります。
歴史の中で変化したフランス国歌
「ラ・マルセイエーズ」は、フランス革命の象徴的な楽曲として誕生し、時代ごとのフランスの政治的状況によりその取り扱いが変化してきました。
誕生当初、この歌は革命軍の士気を高めるために作られ、1795年にはフランス国民公会によって正式に国歌として採用されました。
しかし、その過激な歌詞や戦闘的な内容が問題視され、ナポレオン・ボナパルトが皇帝になるときには、別の国歌が採用されることとなり、「ラ・マルセイエーズ」は一時的に公の場で歌われなくなります。
その後、フランスの政治情勢が変化し、特に1830年の七月革命により「ラ・マルセイエーズ」は再び人気を集め、再解禁されました。
この時、フランス国歌としての地位が回復し、19世紀末には正式に国歌として定着します。
しかし、ナポレオン3世の第二帝政時代には再び禁止され、またしても国歌としての地位を失います。
その後、第三共和政が成立した後、再び「ラ・マルセイエーズ」が国歌として採用されることとなり、1879年には再度正式に国歌として定められました。
このように、フランスの国歌としての歴史は、革命期の混乱、帝政、共和国といった様々な政治体制の中で変遷を遂げ、そのたびに再評価され、最終的には現在に至ります。
また、歌詞やその歌い方も時代によって微妙に変化しており、例えば1958年のフランス第五共和政の成立後は、より公式に歌う場面が増える一方で、歌詞が政治的に過激すぎるとして一部の歌詞の改変や短縮が行われました。
これにより、「ラ・マルセイエーズ」は現代フランスにおいても国民的な誇りを象徴する歌でありながら、歴史的な背景を意識しながら歌われるようになっています。
フランス国歌の役割と国民の意識
「ラ・マルセイエーズ」は、単なる国歌としてだけでなく、フランス国民の団結と誇りを象徴する重要な役割を果たしています。
特に、フランス革命の精神である自由、平等、友愛を象徴する歌として、国内外で多くの人々に強い印象を与えてきました。
この歌が歌われるたびに、フランス人はその歴史的な背景や精神を再確認し、国民としてのアイデンティティを強化します。
国民の意識において「ラ・マルセイエーズ」が占める位置は非常に大きいです。
例えば、フランス革命の日である7月14日(バスティーユ革命記念日)には、フランス全土で国歌が斉唱され、国民が一体となってその精神を共有します。
また、スポーツの国際試合、特にサッカーやラグビーの試合などでも、試合前にこの国歌が流れると、選手と観客が共に力強く歌い、フランス国民としての誇りを再確認します。
フランス国歌が果たす役割は、単なる国家の象徴を超えて、フランスという国の歴史、文化、社会的な価値観を共有し、次世代に伝えていくための重要な手段となっています。
特に、テロ事件や戦争などで国が一丸となる必要がある際には、この国歌が国民をまとめる役割を果たします。
たとえば、2015年のパリ同時多発テロ事件後には、国会や公共の場で自発的に国歌が歌われ、国民がその団結を示しました。
このように、国歌は単に音楽的な役割にとどまらず、社会的な意味を持つ文化的なシンボルとしても機能しているのです。
「ラ・マルセイエーズ」は、時にはその過激な歌詞が批判されることもありますが、それでもフランス国民にとっては、革命の自由と平等を守り続ける精神を体現する重要な歌として、今後も長く歌い継がれていくことでしょう。
フランス国歌の歌詞が他の曲に与えた影響
「ラ・マルセイエーズ」は、フランスの国歌として長い歴史を持ち、ただフランス国内で歌われるだけでなく、世界中の多くの音楽や革命的な作品に影響を与えてきました。
この国歌の歌詞が他の曲に与えた影響は、特に革命的なテーマや自由と戦いを歌う楽曲に見られます。
まず、19世紀の革命歌において「ラ・マルセイエーズ」の影響は非常に強いものがあります。
例えば、ロシアの「インターナショナル」は、労働者の団結を訴え、社会主義革命を呼びかける歌であり、その歌詞には「ラ・マルセイエーズ」の影響が見て取れます。
「インターナショナル」は、フランス革命と同様に自由と平等を求めるメッセージを伝えており、戦闘的な精神が共通しています。
この歌のメロディーや歌詞が、「ラ・マルセイエーズ」と似たような革命的な力強さを持っているため、歌詞の一部には「ラ・マルセイエーズ」の影響が色濃く反映されています。
また、音楽的な影響も見られます。
チャイコフスキーの「序曲1812年」では、フランス軍を象徴する楽曲として「ラ・マルセイエーズ」が引用されています。
特に、この楽曲はナポレオン戦争を背景にしており、侵略者としてのフランス軍を描くために「ラ・マルセイエーズ」が使われました。
このように、フランス革命やナポレオン時代の歴史的背景を音楽に取り入れた作品では、「ラ・マルセイエーズ」が象徴的な役割を果たしています。
さらに、ミュージカルや映画音楽にも「ラ・マルセイエーズ」の影響が見られます。
特に、フランス革命をテーマにしたミュージカル『レ・ミゼラブル』では、革命の精神を表現するために「ラ・マルセイエーズ」のメロディーやその精神がしばしば引用されます。
例えば、作中で歌われる「民衆の歌」は、革命の力強い呼びかけを歌っており、そのリズムやメロディーは「ラ・マルセイエーズ」の影響を受けたものと言えます。
『レ・ミゼラブル』における歌詞は、自由を求めて戦う民衆の姿を描いており、これは「ラ・マルセイエーズ」と同じく、革命の理想を音楽で表現しています。
また、映画『カサブランカ』では、ドイツ占領下におけるフランスのレジスタンスを象徴するシーンで「ラ・マルセイエーズ」が流れます。
このシーンでは、映画の登場人物がフランスの国歌を歌うことによって、ナチスに対する反抗を示す重要なモーメントとなっています。
映画の中で使用される「ラ・マルセイエーズ」のメロディーは、フランスの自由と独立を守るための闘志を表現しており、フランス革命の精神を映画のストーリーと結びつけています。
「ラ・マルセイエーズ」は、単なる戦闘の歌にとどまらず、自由、平等、そして団結を求める革命の象徴として、世界中の数多くの楽曲や作品に影響を与えました。
その影響は、歴史的な背景だけでなく、音楽的にも広がり、時代を超えて現代の作品にまで続いています。
このように、「ラ・マルセイエーズ」の歌詞は、他の音楽作品においてもその革命的なエネルギーとメッセージを伝える手段として使われてきたのです。
フランス国歌 歌詞の解説とその歴史的背景
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞には、革命の精神と戦闘的な要素が強く反映されています。
この歌詞がどのようにしてフランス革命と結びつき、国歌として確立されたのかは、非常に興味深い歴史的背景を持っています。
「ラ・マルセイエーズ」の歌詞の和訳を通じて、革命の理念やフランス国民の覚悟が表現されていることが理解できました。
また、マルセイユと国歌の関係や、元ネタとなった音楽的影響についても触れました。
この記事が、フランス国歌の深い意味や歴史に対する理解を深める一助となれば幸いです。
- フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」はフランス革命の象徴である
- 作詞・作曲は1792年、クロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リールによる
- 最初のタイトルは「ライン軍のための軍歌」
- マルセイユの義勇兵が歌いながらパリへ進軍し、「ラ・マルセイエーズ」と呼ばれるようになった
- 1795年に国民公会で正式に国歌として採用された
- ナポレオン時代に一時的に国歌として廃止された
- 1830年の七月革命後に再度採用された
- 第二帝政時代に再び禁止され、その後第三共和政で復活
- 1879年には正式にフランスの国歌として定着した
- 歴史を通じて「ラ・マルセイエーズ」は革命精神を象徴する役割を果たした
- 歌詞には「暴君を倒せ」「自由を守れ」など、戦闘的な表現が多い
- 歌詞はフランス革命の理念を色濃く反映している
- 「ラ・マルセイエーズ」はフランス国内外で多くの革命運動に影響を与えた
- 19世紀の革命歌や、チャイコフスキーの「序曲1812年」にも影響を与えた
- 現代においても「ラ・マルセイエーズ」はフランス国民にとって重要な精神的支柱
- 2015年のパリ同時多発テロ後、国会議員が自発的に歌い、国民の結束を示した