ベトナムへ旅行に行く際や、サッカーの国際試合を見ているときに流れるあの勇壮なメロディーについて、もっと深く知りたいと考える方は多いはずです。
ベトナムの国歌に関する歌詞の意味や日本語訳、そしてカタカナで覚えるための情報はもちろん、その背後にある壮絶な歴史や、一部で「怖い」と噂される理由についても気になりますよね。
また、南ベトナムの国歌との違いや、YouTubeで音声が消されたという著作権トラブル、斉唱の際に手を胸に当てるマナーなど、現代ならではのトピックも興味深いものです。
この記事では、単なる楽曲の解説にとどまらず、ベトナムという国の精神性がどのように国歌に反映されているのかを、私なりの視点で分析していきます。
- 過酷な飢餓と革命の中で生まれた国歌の歴史的背景
- 「敵の屍を越えて」という歌詞に込められた真意と日本語訳
- 旅行者が知っておくべき斉唱時のマナーとバーディン広場の儀式
- デジタル時代の著作権問題やサッカー応援などの現代的トピック
ベトナム国歌の歴史と歌詞の意味を解説

ここでは、現在ベトナム社会主義共和国で歌われている国歌『進軍歌』が、どのような歴史的経緯を経て誕生したのか、そしてその歌詞にはどのような思いが込められているのかを掘り下げていきます。
単なる愛国歌としてではなく、当時の人々が置かれていた極限状況を知ることで、この曲の聞こえ方が全く違ったものになるはずです。
ベトナム国歌の歴史と誕生秘話
ベトナムの国歌である『進軍歌(Tiến Quân Ca)』は、平和な時代に作られた祝典用の音楽ではありません。
この曲が誕生したのは1944年の冬、ベトナムがフランスによる植民地支配と日本軍の進駐という二重の支配を受けていた最も困難な時期でした。
当時のベトナム北部は、天候不順や戦時徴発が重なり、未曾有の大飢饉に見舞われようとしていました。
街中には飢えに苦しむ人々が溢れ、明日をも知れぬ状況の中で、生き残るための「武器」として歌が必要とされたのです。
この曲は、ベトナム独立同盟会(ベトミン)の機関紙に掲載するために作られ、瞬く間に革命を目指す人々の間で広まりました。
そして1945年8月19日、ハノイのオペラハウス前で行われた大規模な集会において、この歌が大群衆の前で高らかに歌われたことで、革命の火蓋が切られました。
その後、ホー・チ・ミン主席によって正式に国歌として認められ、独立宣言の場でも演奏されたのです。
つまり、この曲はベトナムという国家の誕生そのものと不可分な関係にあると言えます。
作曲家ヴァン・カオの数奇な生涯
この歴史的な名曲を生み出したのは、ヴァン・カオという多才な芸術家です。
彼は音楽だけでなく、詩や絵画の分野でも優れた才能を発揮した人物でした。
しかし、彼の人生は決して順風満帆なものではありませんでした。
革命の英雄として称えられる一方で、戦後の政治的な変化や芸術活動に対する統制の中で、不遇の時代を過ごしたこともありました。
それでも彼は、自らの信念と芸術への情熱を持ち続けました。
晩年、彼が震える手で『進軍歌』の楽譜を書き写し、博物館へ寄贈したというエピソードは、多くのベトナム人の心を打ちました。
彼にとってこの曲は、単なる作品を超えて、彼自身の人生そのものであり、ベトナム国民と共有する魂の一部だったのでしょう。
彼の功績は没後に再評価され、現在ではベトナム音楽界の巨匠として深い敬意を集めています。
歌詞が怖いと言われる歴史的背景

インターネット上でベトナム国歌について調べると、「歌詞が怖い」という意見を目にすることがあります。
確かに、現代の平和な感覚で歌詞を読むと、非常に激しく、暴力的にさえ感じる表現が含まれています。
特に議論の的となるのは、「敵の屍(しかばね)を越えて」といった直接的な描写です。
しかし、これを単なる好戦的な表現と捉えるのは早計だと私は考えます。
前述したように、この曲が作られたのは1945年ベトナム飢餓に象徴される、死が日常的に隣り合わせにある時代でした。
侵略者に立ち向かい、戦わなければ自分たちが死んでしまうという極限状態において、これらの歌詞は「何としても生き抜く」という悲痛な叫びであり、生存への渇望だったのです。
そう考えると、この激しさは恐怖を与えるためのものではなく、当時の人々を鼓舞し、団結させるために不可欠な要素だったと理解できます。
ベトナム国歌の日本語訳と内容
では、具体的にどのような内容が歌われているのでしょうか。
歌詞全体を紹介することは控えますが、その核心部分を日本語的なニュアンスで要約してみます。
歌い出しは「ベトナムの軍隊よ、前へ進め」と呼びかけ、祖国を救うという一つの意志のもとに団結することを求めています。
そして、険しい道のりを越え、勝利のために戦う決意が語られます。
先ほど触れた「敵の屍を越えて」というフレーズのあとには、「栄光への道を築こう」と続き、困難を乗り越えて新しい国を作るという建設的なメッセージが込められていることがわかります。
また、「長い間飲み込んできた憎しみ」を晴らし、鎖を断ち切って立ち上がろうという部分は、長年の植民地支配からの解放を願う当時の人々の切実な思いが反映されています。
全体を通して、悲壮感と希望が入り混じった、非常にエネルギーに満ちた内容となっています。
旧南ベトナム国歌に関する知識
ベトナム戦争の歴史に詳しい方であれば、「南ベトナム」の国歌についても関心があるかもしれません。
かつて存在したベトナム共和国(南ベトナム)では、『市民への呼びかけ』という曲が国歌として使われていました。
興味深いことに、この曲を作曲したルー・フー・フオックという人物は、実は北ベトナム(共産主義側)の熱心な活動家であり、後に大臣まで務めた人物でした。
彼が学生時代に愛国歌として作った曲が、皮肉にも敵対する南ベトナム政権によって国歌に採用されてしまったのです。
作曲者本人はこの採用に抗議しましたが、南ベトナムでは歌詞の一部を変えて歌い継がれました。
現在でも、海外に住むベトナム戦争当時の難民やその子孫のコミュニティでは、現行の『進軍歌』ではなく、こちらの曲を大切に歌う人々がいます。
一つの国、一つの民族の中で、異なる国歌がそれぞれのアイデンティティを象徴しているという事実は、ベトナム現代史の複雑さを物語っています。
ベトナム国歌のマナーと現代の課題

後半では、現代のベトナム社会において国歌がどのように扱われているのか、旅行者が知っておくべきマナーや、デジタル時代ならではの課題について解説します。
現地の文化を尊重するためにも、これらの知識は非常に役立ちます。
斉唱時に手を胸に置くマナー
スポーツの国際試合などで、ベトナム代表の選手たちが国歌斉唱の際に右手を左胸(心臓の位置)に当てている姿を見たことはありませんか?これは近年、ベトナムの若者を中心に広まっている新しいスタイルです。
伝統的な軍や政府の儀式では、両手を体側に添えて直立不動(気をつけ)の姿勢を取るのが正式なマナーとされてきました。
しかし、グローバルなスポーツイベントの影響を受け、愛国心をより情熱的に表現する方法として、手を胸に当てる仕草が定着しつつあります。
旅行者が現地のイベントなどで国歌斉唱に立ち会う場合、基本的には直立不動で静かに敬意を表せば問題ありません。
もちろん、周囲に合わせて手を胸に当てても失礼にはあたりません。
最も大切なのは、その場の厳粛な空気を読み、敬意を持って振る舞うことです。
バーディン広場での厳粛な儀式

ハノイにあるホー・チ・ミン廟の前のバーディン広場では、毎日早朝と夜に国旗掲揚・降納式が行われています。
これはベトナムで最も神聖な儀式の一つとされており、観光客も見学することができます。
特筆すべきは、儀式の最中に国歌が流れ始めると、広場にいるすべての人々がその場で立ち止まり、国旗に向かって直立しなければならないというルールです。
歩いている人は足を止め、座っている人は立ち上がります。
私語も慎まなければなりません。
普段はバイクの騒音と活気に満ちたハノイの街が、この瞬間だけは静寂に包まれ、全員が同じ方向を向く光景は圧巻です。
もし現地を訪れる機会があれば、このルールを守り、ベトナムの人々とその瞬間を共有してみることをおすすめします。
ただし、撮影に夢中になってマナーを欠くことのないよう注意してください。
※現地のルールやスケジュールは変更される可能性があるため、訪問の際は最新の観光情報を確認してください。
サッカー代表戦での熱狂と合唱
厳粛な式典とは対照的に、サッカースタジアムでの国歌斉唱は、熱狂と一体感に満ち溢れています。
ベトナムの人々はサッカーが大好きで、代表戦ともなれば街中が赤と黄色の国旗色に染まります。
試合開始前に数万人のサポーターが一斉に『進軍歌』を合唱するさまは、まさに地鳴りのような迫力です。
この時ばかりは、悲壮な歴史の歌というよりも、勝利への渇望と国民の団結を象徴する応援歌としての側面が強く現れます。
試合に勝利した夜には、「ディバオ(嵐に行く)」と呼ばれるパレードが自然発生し、バイクに乗った人々が国旗を掲げて街を走り回ります。
そこでも国歌やチャントが歌われ、普段は規律を重んじる社会の中で、感情を爆発させる数少ない機会となっています。
YouTubeでの著作権騒動
近年、ベトナム国歌を巡って現代的なトラブルが発生しました。
それは、YouTubeで配信されていたサッカーの国際試合において、国歌斉唱のシーンだけ音声がミュート(消音)されるという事件です。
「国の象徴である国歌になぜ著作権があるのか?」と疑問に思う方もいるでしょう。
実はこれ、国歌そのものの著作権というより、過去に制作された特定の録音データの権利を主張する海外企業と、YouTubeの自動検知システム(コンテンツIDなど)との間で起きた技術的な問題でした。
この事件はベトナム国内で大きな怒りを呼び、政府も介入して解決に乗り出す事態となりました。
国民の共有財産であるはずの国歌が、プラットフォームのアルゴリズムによって制限されてしまうという、デジタル時代特有の課題が浮き彫りになった興味深い事例と言えます。
ベトナム国歌が象徴する精神

ここまで見てきたように、ベトナム国歌『進軍歌』は、単なる音楽作品以上の意味を持っています。
それは、飢餓と植民地支配という絶望の淵から立ち上がり、独立を勝ち取ったベトナム国民の「不屈の精神(Resilience)」そのものです。
歌詞が怖いと言われることもありますが、それは彼らが生き抜いてきた過酷な歴史の証左でもあります。
そして現代では、その精神がサッカーの応援や日々の儀式を通じて、新しい世代へと受け継がれています。
これからベトナム国歌を耳にする際は、そのメロディーの奥にある、生きるための叫びと、未来への希望を感じ取ってみてください。
きっと、ベトナムという国がより身近に、そして深く理解できるはずです。



