かごめかごめは、日本の代表的な童謡でありながら「怖すぎる」と話題になることがあります。
幼い頃に何気なく口ずさんでいた歌の中に、実は不気味な意味が隠されているのではないかと感じた人も多いのではないでしょうか。
この記事では、「かごめかごめは怖い」という噂の真相に迫り、歌詞や遊び方、都市伝説、そして逆再生の噂まで幅広く解説していきます。
この記事を読むことで、噂の根拠や歴史的背景、誤解されがちな表現の意味を正しく理解できるようになります。
童謡の奥深さに触れながら、不安の正体に冷静に向き合う手助けになるはずです。
- かごめかごめが「怖すぎ」と言われる理由と背景
- 歌詞の意味や作者が不明な理由
- 都市伝説や逆再生にまつわる噂の正体
- 遊び方や伝承から見える歌の本質
かごめかごめ 怖すぎな都市伝説と噂の正体

- かごめかごめ 怖すぎという噂は本当か
- 後ろの正面だあれ 意味と都市伝説の関係
- かごめかごめ 歴史から読み解く
かごめかごめ 怖すぎという噂は本当か
かごめかごめという童歌が「怖すぎる」と語られる理由は、単なる遊び歌とは思えない不気味な歌詞の内容や、長年にわたって語られてきた都市伝説の存在にあります。
実際に、幼い頃にこの歌を聞いて、なぜか怖さを感じたという人も少なくありません。
しかし、それらの噂や印象がどこまで信憑性のあるものなのかについては、冷静に整理して考える必要があります。
まず、かごめかごめの歌詞にある「籠の中の鳥」「夜明けの晩」「鶴と亀が滑った」「後ろの正面だあれ」といった言葉は、いずれも日常的な言葉とはかけ離れており、現実離れした不思議な光景を描いているように見えます。
こうした抽象的で意味深な表現が、聴く人の想像力を刺激し、解釈の余地を多く与える要因となっています。
その結果、多くの都市伝説が生まれてきました。
さらに、かごめかごめの「作者が不明である」という点も、注目すべき特徴の一つです。
普段私たちが耳にする多くの童歌には、作詞・作曲者の記録がありますが、かごめかごめにはそれが存在しません。
子ども向けの歌であるにもかかわらず、誰がいつどのように作ったのかがまったく分かっていないのです。
この事実に気づいた人ほど、「なぜそんなに謎めいているのか」と違和感を覚え、不気味さを感じやすくなる傾向があります。
作者がいないという情報そのものが、内容の不可解さとあいまって「ただの遊び歌とは思えない」という印象を強めているのかもしれません。
ただし、これらの噂の多くは、明確な根拠に基づいているわけではなく、あくまで後付けの解釈や創作に近いものです。
歴史的に見ても、かごめかごめは江戸時代から伝わる童歌であり、遊びの一環として子どもたちの間で楽しまれてきた文化的背景があります。
伝承される過程で歌詞のバリエーションも生まれ、地域ごとに異なる形で残っています。
つまり、もともとは純粋な遊び歌としての意味合いが強く、恐怖を意図して作られたものではない可能性が高いのです。
とはいえ、あえて意味を限定せずに多義的な表現を含んでいることで、さまざまな解釈や都市伝説を生み出す余地があったのも事実です。
これが「怖すぎる」と感じさせる要因になっています。
歌詞そのものに恐怖を植え付ける明確な文脈があるわけではありませんが、わかりにくさや曖昧さが、逆に不安や想像をかき立てていると言えるでしょう。
結論として、「怖すぎる」という噂が本当に事実かどうかは、聴き手の受け取り方次第です。
不気味さを感じることはあっても、それが必ずしも意図されたものではないという視点を持つことも大切です。
後ろの正面だあれ 意味と都市伝説の関係
「後ろの正面だあれ」というフレーズは、かごめかごめの中でもとくに印象的な一節として知られています。
一見すると矛盾した言い回しであることから、聞いた人に不思議な感覚を与えることが多く、「意味深な言葉」としてたびたび取り上げられてきました。
本来この表現は、子どもたちが遊びの中で自然に生み出した言葉です。
目隠しをされた“鬼”が輪になった他の子どもたちに囲まれ、歌の終わりに「自分の後ろにいるのは誰か」を当てるというルールに基づいて、「後ろの正面だあれ?」と問いかけるのです。
つまり、「背後にいる人=正面で向かい合っている相手」を当てることが目的の遊びに由来する、単純なフレーズです。
実際、江戸時代の文献にはこの歌の別バージョンも存在しており、「後ろの正面」が登場しない遊び方も見られました。かつては輪の中をくぐる「くぐり型」の遊びもあり、現在よく知られている形はその後に広まった一バージョンに過ぎません。
それにもかかわらず、「後ろの正面だあれ」という言葉は時として不気味なイメージとともに解釈されてきました。
以下に代表的な都市伝説を紹介しますが、いずれも信頼性のある資料に裏づけられているわけではなく、多くは創作的な解釈に基づいています。
都市伝説1:処刑された囚人説
この説では「かごめかごめ」が死刑囚をテーマにしているとされます。
「籠の中の鳥」は牢獄の囚人を指し、「後ろの正面だあれ」は、首を斬られた囚人の視点で「自分の後ろにいる処刑人(あるいは自分の遺体)を見ている」と解釈されることがあります。
ただし、こうした見方は象徴的な解釈にすぎず、歌詞全体にそのような意味を裏付ける史料や証拠は存在していません。
フィクションの要素が強く、信ぴょう性の高い情報として受け取るべきではありません。
都市伝説2:妊婦と流産説
この解釈では、「かごめ」は「籠女(かごめ)」すなわち妊婦を意味し、「鶴と亀が滑った」は転倒の比喩とされます。
つまり、妊婦が階段から落とされ流産し、「後ろの正面だあれ」は誰がそれを引き起こしたのか、という問いかけだとされます。
このようなストーリーは明確な根拠がなく、あくまで都市伝説として語られているものです。
実際の遊び方や歌詞の成り立ちと照らし合わせても、直接的な関係は確認されていません。
都市伝説3:遊郭の遊女説
別の説では、「籠の中の鳥」が遊郭で働く女性を象徴しているというものもあります。
「後ろの正面だあれ」は、次々と相手をする中で顔を覚えきれなくなった遊女が語る言葉だとする説です。
この話もまたフィクション性が強く、歴史的な裏付けはありません。
かごめかごめが子ども向けのわらべうたであることから考えても、この解釈は過剰に大人の視点を持ち込んだものといえるでしょう。
都市伝説4:隠された権力者説
「後ろの正面だあれ」という問いかけが、実際には「表には出てこないが、物事を裏で操る人物=隠された権力者」を暗示しているという説も存在します。
これは陰謀論的な要素が強く、あくまで象徴的な読み解きの一種です。
一般的な遊びの文脈から外れた解釈であり、歌詞の本意とはかけ離れています。
こうした見方は個人的な想像の範囲にとどめるべきです。
かごめかごめ 歴史から読み解く
かごめかごめは、現在では「怖すぎる童謡」として都市伝説的な注目を集めていますが、正確には江戸時代から伝わるわらべうたの一つです。
文献をたどると、その原型がどのような形で伝承されていたのかが見えてきます。
最も古い記録の一つは、1820年ごろの『童謡集』(釈行智編)です。
※ 当時の「童謡集」は、現代の「童謡」だけでなく、子どもが歌っていた伝承的な遊び歌=童歌も含んだ内容となっています
この書物には、現在の歌詞とは異なる形の「かごめかごめ」が収録されています。
歌詞の中には、「鶴と亀」や「後ろの正面」といった表現はなく、代わりに「つるつる つっぺぇつた」「なべのなべのそこぬけ」といった言葉が登場しています。
この時代のかごめかごめは、「後ろの正面型」ではなく「くぐり型」と呼ばれる遊び方で親しまれていました。
子どもたちが輪になって手をつなぎ、その手の間をくぐり抜けるというダイナミックな動きが特徴です。
この遊び方は、今日の「後ろの正面だあれ」と問いかけて相手を当てるスタイルとは異なり、歌詞もリズムや動きに合わせて構成されていました。
また、1830年代に編纂された『幼稚遊昔雛形』でも、わらべうたとしてのかごめかごめの記録が確認されており、当時の子どもたちが実際にどのように遊んでいたかが描かれています。
これらの文献からは、地域によって歌詞や遊び方が異なる「類歌」が存在していたこともわかります。
明治以降、テレビやラジオなどのメディアが普及すると、わらべうたの中でも人気の高かった特定のバージョンが全国に広まり、現在一般的に知られるかたちの「かごめかごめ」が定着していきました。
これにより、地域差は次第に薄れ、「後ろの正面だあれ」や「鶴と亀が滑った」といった歌詞が主流となりました。
つまり、かごめかごめの歌詞やイメージは、長い年月をかけて少しずつ変化しながら今日に至っているのです。
恐怖の歌として語られるようになったのは比較的最近の現象であり、その背景には「意味の分かりにくさ」や「記録の曖昧さ」があると言えるでしょう。
このように歴史をひもといてみると、かごめかごめは本来、恐ろしい意味を持った歌ではなく、子どもたちの遊びの中で自然に育まれてきた文化の一つであったことがわかります。
誤解や都市伝説だけでなく、歴史的な背景にも目を向けることで、より正確な理解に近づくことができます。
かごめかごめ 怖すぎと言われる理由と意味の考察

- 歌ってはいけないと言われる理由とは
- 動きや遊び方から見えてくる意味
- 現代教育における「かごめかごめ」の役割
歌ってはいけないと言われる理由とは
かごめかごめが「歌ってはいけない」と言われる理由には、主に3つの要素が関係しています。
歌詞の不気味さ、数多くの都市伝説、そして過去に語られた放送制限の噂です。
これらが複合的に重なった結果、あたかも呪いの歌であるかのような印象が生まれました。
まず、歌詞の中に登場する「籠の中の鳥」「夜明けの晩」「鶴と亀が滑った」などの表現は、意味がはっきりしないにもかかわらず、どこか不穏な空気を感じさせる言葉で構成されています。
とくに「後ろの正面だあれ」というフレーズは、現実には存在しない方向の表現であり、聞き手に違和感を与えやすい特徴を持っています。
この曖昧さが、かえって恐怖や不安を呼び起こしやすいとされてきました。
また、かごめかごめにまつわる都市伝説も、「歌ってはいけない」とされる背景を強めています。
妊婦が姑に突き落とされた話や、埋蔵金を示す暗号説、霊を呼び出す降霊術説など、数多くのストーリーが後付けで加えられています。
これらは事実に基づいたものではなく、あくまで想像による創作にすぎませんが、インターネットやテレビ番組を通して拡散され、あたかも本当のことのように語られることもありました。
かつては「大阪では放送できない」という噂が広まったこともあります。
ただし、これは後に根拠のない俗説であると否定されており、公式な放送禁止の記録もありませんでした。
このように、実態のない情報が都市伝説を補強し、「歌うと不幸になる」「歌うことで何かが起こる」といったイメージをさらに強くしています。
一方で、これらの噂によって歌の本来の意味や文化的背景が見えにくくなっているのも事実です。
かごめかごめはもともと、子どもたちの遊びの中で生まれ、長年にわたって伝承されてきたわらべうたです。
「歌ってはいけない」という考え方は、実際の歴史や遊びのあり方を踏まえると根拠の薄いものであり、あくまで都市伝説の一種と捉えるのが自然です。
たしかに、かごめかごめには不思議な雰囲気があることは否定できません。
しかし、それを過剰に恐れる必要はなく、文化や遊びとしての側面を正しく理解することが大切です。
動きや遊び方から見えてくる意味
かごめかごめは、歌そのものだけではなく、遊びの動きと密接に関係しています。
歌詞の意味を正確に理解するには、言葉だけでなく、遊びの仕組みや子どもたちの動きにも注目する必要があります。
実際、かごめかごめは「わらべうた」というジャンルに属しており、これは子どもたちが歌いながら身体を動かす遊びの一種です。
かごめかごめの基本的な遊び方は、中央に一人の子どもが座り、目隠しをします。
その周りを他の子どもたちが輪になって歩きながら歌を歌います。
そして歌が終わったタイミングで、目隠しされた子が「自分の後ろにいる人は誰か?」を当てるという形式です。
この遊び方では、身体を動かすことと歌を合わせることで、ゲーム性が生まれます。
この構造からわかるのは、「目が見えない状態で周囲を把握する」という、感覚を頼りにした遊びの要素です。
中心に座った子どもは、自分の背後が誰かを当てる必要があります。
ここで登場するのが「後ろの正面だあれ」という問いかけです。
これは、実際の後ろにいる子どもを当てるための合図であり、遊びの中で自然と生まれた表現です。
したがって、「後ろの正面だあれ」は、元から不気味な意味を持たせようとして作られたのではなく、単純に遊びのルールに必要な言葉であったことがわかります。
また、遊びのリズムに合わせて歌詞の構成も調整されています。
一定のテンポで輪を回り、歌の終わりに一斉に止まるという流れは、歌詞に時間的な長さや進行性を必要としました。
そのため、意味よりもリズムや語感を優先した言葉が選ばれる傾向にあります。
例えば、「夜明けの晩」や「鶴と亀が滑った」といった言葉は、リズムを整えるための役割が大きく、論理的に意味を通そうとするものではなかったと考えられます。
さらに、かつての類歌や古い記録では、「後ろの正面」が登場しないバージョンや、輪になって手をつないだまま全員でくぐり抜けるような遊び方もありました。
これは「なべなべそこぬけ」に似た形で、「くぐり型」と呼ばれる遊びの形式です。
このことからも、かごめかごめの遊びは時代や地域によってさまざまに変化してきたことがわかります。
言ってしまえば、かごめかごめは「遊びを楽しむための道具」として存在しており、子どもたちがリズムと動作の一体感を味わうために自然と発展したものです。
意味を過剰に深読みするのではなく、まずは「遊びの中でどう使われていたか」を理解することが、歌詞の背景を読み解く上での第一歩となります。
このように考えると、かごめかごめの歌詞にこめられた不気味さは、遊びのルールとリズムを重視する中で偶然生まれた副産物であるとも言えるでしょう。
遊びと歌が切り離せない関係にあったからこそ、現代まで伝承されてきたのです。
現代教育における「かごめかごめ」の役割
かごめかごめは、現代教育の中で「伝承遊び」や「音楽教育」「集団活動」の一環として取り上げられることがあります。
かつてのように日常的に子どもたちが自然に遊ぶ機会は減っていますが、教育の場では意図的に伝統文化の一つとして紹介されるケースが増えています。
まず、音楽の授業では「日本のわらべうた」の教材として扱われることがあります。
リズムの理解、音階の学習、集団での合唱といった基礎を学ぶ素材として活用しやすいためです。
また、遊びと結びつけて学ぶことで、子どもたちは楽しみながら日本語の響きや独特のメロディを体験することができます。
次に、保育園や幼稚園、小学校低学年の活動では「集団でのルールを学ぶ機会」として活用されることがあります。
輪になって遊ぶ構造は、協調性や順番を守る姿勢、注意を払う力を育てるのに適しています。
とくに、鬼役が後ろの人を当てるという形式には集中力や観察力が求められるため、遊びながら社会性を育むことができると評価されています。
かごめかごめに対して「怖い」「不気味」という印象を持つ子どもや保護者がいるのも事実です。
そのため、導入に際しては歌詞の意味や背景を丁寧に説明する、遊び方を前向きな形でアレンジするなどの工夫が求められます。
子どもたちが安心して参加できる環境づくりも重要です。
現在の教育では、伝統と現代のバランスをとることが求められています。
かごめかごめは、ただ古い遊びとして扱うのではなく、文化的背景を学ぶ入り口として活用できる貴重な教材のひとつです。
日本に伝わる遊びの面白さや、集団活動の大切さを伝える手段として、現代教育においてもその価値は十分にあります。
かごめかごめ 怖すぎと言われる背景のまとめ
かごめかごめが怖すぎるという噂の背景には、歌詞の曖昧さや「後ろの正面だあれ」のような印象的な言葉が与える不安感がある一方で、実際には地域ごとの伝承や遊びの中で育まれてきた歴史があります。
かごめかごめの歴史や、動きや遊び方から見えてくる意味を知ることで、この童歌が本来持つ文化的な価値や教育的な側面にも目を向けることができます。
過度に都市伝説だけにとらわれず、正しい知識とともに伝統を見直すきっかけになれば幸いです。
参考文献 小学校音楽科教材にみる『かごめかごめ』の変遷(嶋田由美, 2004年)
- 「かごめかごめ」は江戸時代から伝わるわらべうたである
- 歌詞が抽象的かつ意味不明で不安を感じやすい構成になっている
- 「後ろの正面だあれ」という表現が矛盾を含み印象に残りやすい
- 作詞・作曲者が不明である点が不気味さを助長している
- 都市伝説が後付けで増幅され独自のストーリーが生まれた
- 「処刑説」「流産説」などは信頼性のない創作に過ぎない
- 歌詞は地域や時代で異なる「類歌」として存在してきた
- 古い文献には現在と異なる遊び方や歌詞が記録されている
- 初期は「くぐり型」の遊びが主流で現在の形は後の派生である
- 意味よりリズムを重視した言葉選びがされていた
- 遊びと歌が一体となった文化として伝承されてきた
- 教育現場では音楽・協調性・伝承学習に活用されている
- 子どもの発達に応じた知育的価値も評価されている
- 不安視される場合には丁寧な導入や説明が求められる
- 怖さの印象は受け手側の解釈に左右される要素が大きい