軍艦マーチとは?歌詞の意味や海上自衛隊とパチンコの歴史

軍艦マーチとは?歌詞の意味や海上自衛隊とパチンコの歴史
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軍艦マーチとはどのような楽曲なのかを詳しく知ろうとすると、海上自衛隊の観艦式で演奏される厳粛な儀礼曲としての側面や、かつてパチンコ店で親しまれた賑やかなBGMとしての記憶、さらにはミャンマー国軍での採用や海外の反応といった国際的な広がりなど、実に多面的な情報に触れることになります。

歌詞の意味や現代語訳を通して曲の深層に触れたい方もいれば、日本行進曲の父と呼ばれる作曲者の瀬戸口藤吉がどのような思いでこの曲を作ったのかを知りたい方もいるでしょう。

この記事では、戦後のGHQによる一時的な禁止からジャズ化、そして著作権の扱いまで、この名曲が時代を超えて辿ってきた数奇な運命を紐解いていきます。

この記事を読むと分かること
  • 明治期に誕生した楽曲の歴史的背景と音楽的構造
  • 歌詞に込められた意味とトリオ部分の海ゆかばの秘密
  • パチンコ店やミャンマー国軍で定着することになった理由
  • 海上自衛隊における現在の公式な運用状況と演奏活動
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軍艦マーチとはどのような歴史を持つ楽曲か

軍艦マーチとはどのような歴史を持つ楽曲か

ここでは、明治時代に誕生してから現代に至るまで、日本の音楽史において特別な位置を占め続けている「軍艦マーチ(行進曲「軍艦」)」の成り立ちについて深掘りします。

作曲者の人物像や楽曲の構造、そして歌詞に込められた意味を知ることで、単なるマーチ以上の深みが見えてくるはずです。

日本行進曲の父と呼ばれる作曲者

この楽曲を語る上で欠かせないのが、作曲者である瀬戸口藤吉(1868年 – 1941年)の存在です。

彼はしばしば「日本行進曲の父」と称され、アメリカの行進曲王スーザになぞらえて「日本のスーザ」とも呼ばれるほどの人物です。

鹿児島県に生まれた瀬戸口は、海軍軍楽隊の軍楽師としてキャリアを積み、洋楽導入期の日本において西洋の音楽理論を完全に消化しながら、日本人の感性に響く旋律を生み出すことに成功しました。

1900年(明治33年)頃に作曲されたとされるこの「軍艦マーチ」は、彼の代表作であると同時に、当時の日本が近代国家として海軍力を象徴する「音」を求めていた時代の空気を見事に体現していたと言えます。

詳しくは、同時代の音楽家や楽曲の背景を知ることで理解が深まります。

以下の記事では、国歌「君が代」の作者や歴史について解説しており、当時の音楽事情を知る手がかりになるでしょう。

軍艦マーチの歌詞と現代語訳の意味

「軍艦マーチ」の主部で歌われる歌詞は、鳥居行雄によって作詞されました。

その内容は、勇壮なメロディに乗せて近代的な「軍艦」の威力を称えるものです。

歌詞の冒頭、「守るも攻むるも黒鉄(くろがね)の」というフレーズは非常に有名ですが、これは鉄製の堅牢な軍艦そのものを指しています。

「浮かべる城」すなわち「浮城(うきじろ)」として、頼もしい存在であることを歌い上げているわけです。

現代語訳風に解釈すれば、「防御も攻撃もこなす鉄の城が浮かんでいる、この頼もしさよ」といったニュアンスになるでしょうか。

陽気な長調の旋律と相まって、当時の人々にとっては、近代化を推し進める日本の「強さ」と「明るさ」の象徴として響いたのだと推測できます。

トリオ部分に引用された海ゆかば

この曲の音楽的な面白さは、勇ましい主部とは対照的に、中間部(トリオ)で非常に優雅で哀愁を帯びた旋律が登場する点にあります。

ここで引用されているのが「海ゆかば」です。

ただし、ここで言う「海ゆかば」は、戦時中に広く歌われた信時潔作曲のもの(準国歌的な扱いを受けた曲)とは異なり、東儀季芳が作曲した旋律であることを区別して理解する必要があります。

歌詞自体は『万葉集』の大伴家持の和歌を用いており、「海で死ぬことになろうとも、天皇のために尽くして悔いはない」という、武人の覚悟と忠誠心を歌っています。

勇壮な「動」のエネルギーを持つ主部と、精神的な支柱となる「静」のエネルギーを持つトリオ部分が対照を成しています。

この二つの要素が融合しているからこそ、単なる元気なマーチにとどまらない、芸術的な深みが生まれたと言えるでしょう。

海上自衛隊の儀礼曲としての役割

戦後の混乱を経て、1954年に発足した海上自衛隊は、旧海軍の良き伝統を継承する組織として、この「行進曲 軍艦」を公式な儀礼曲として制定しました。

現在でも、観艦式や出港式典、自衛隊記念日といった重要な場面で必ずと言っていいほど演奏されています。

これは単なる懐古趣味ではなく、組織としてのアイデンティティや精神的なつながりを確認するための重要な儀式の一部となっているのです。

横須賀や東京などの基地周辺で行われる音楽隊の演奏会では、市民にも親しまれており、YouTubeなどの動画サイトでもその質の高い演奏を確認することができます。

海外の反応と世界三大行進曲の説

日本国内だけでなく、海外においてもこの曲は知られています。

実は、早くも1907年(明治40年)には帝国海軍軍楽隊がヨーロッパツアーを行い、イギリスやドイツなどでこの曲を演奏していました。

当時の西洋の人々にとって、東洋の国がこれほど完成度の高い西洋式マーチを持っていることは驚きだったに違いありません。

ネット上ではしばしば「世界三大行進曲の一つ」として紹介されることがあります。

これには諸説あり、定説とまでは言えない部分もありますが、スーザの「星条旗よ永遠なれ」やタイケの「旧友」と並んで称賛されるほど、音楽的な評価が高いことは事実です。

海外の反応について興味がある方は、日本の象徴的な楽曲が世界でどう受け止められているかを知ることも面白いでしょう。

以下の記事では「君が代」の海外での評判についてまとめています。

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意外な側面から見る軍艦マーチとは

意外な側面から見る軍艦マーチとは

「軍艦マーチ」という言葉から、海軍や自衛隊よりも先に、街角の娯楽や意外な国でのエピソードを思い浮かべる方も多いかもしれません。

ここでは、なぜこの曲がこれほどまでに多様な場所で定着したのか、その意外な側面に光を当てて解説します。

パチンコ店でBGMに使われる理由

昭和の終わり頃まで、パチンコ店のBGMといえばこの曲が定番でした。

「ジャンジャンバリバリ」というアナウンスと共に、軍艦マーチがループしていた光景を記憶している方もいるでしょう。

なぜ軍艦マーチだったのでしょうか。

理由の一つとして、そのリズムがパチンコの遊技に生理的に合っていたことが挙げられます。

アップテンポで推進力のあるリズムは、高揚感を煽り、玉を弾くテンポとも相性が良かったのです。

また、戦後の復興期において、かつての「強い日本」を想起させるメロディが、形を変えた応援歌として庶民に受け入れられた側面もあったと推測されます。

現在では騒音対策や機種ごとの演出BGMへの変化により、店内で耳にすることは少なくなりましたが、依然として「パチンコの曲」というイメージは根強く残っています。

ミャンマー国軍が採用する独自の歌詞

非常に興味深い事実として、東南アジアのミャンマー国軍が、この軍艦マーチを公式な軍歌として現在も使用していることが挙げられます。

第二次世界大戦中、日本軍はビルマ(現ミャンマー)の独立運動を支援し、軍事訓練を行いました。

その過程で日本の軍楽も伝わり、戦後独立を果たした後も、メロディがそのまま継承されたのです。

ただし、歌詞は「守るも攻むるも」ではなく、ミャンマー語による独自の愛国的な内容に書き換えられています。

かつての占領や同盟の歴史が、音楽という形で異国に根付いている例は世界的にも珍しく、歴史の不思議さを感じさせます。

戦後のGHQによる禁止とジャズ化

1945年の敗戦直後、日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、軍国主義的な色彩を持つ楽曲の演奏を禁止しました。

軍艦マーチもその対象となり、公的な場から姿を消すことになります。

しかし、この曲は完全に死に絶えたわけではありませんでした。

興味深いことに、進駐軍の兵士や若者が集うダンスホールなどで、「フォックストロット」や軽快なジャズアレンジに形を変えて演奏されていたという記録があります。

重厚な行進曲が、軽やかなダンスミュージックとして「変装」することで、厳しい検閲の目を逃れ、メロディ自体は生き延びたのです。

この日本人のしたたかさと柔軟性が、後のパチンコ店での復活や現代への継承につながったと言えるかもしれません。

著作権の消滅とパブリックドメイン

この楽曲がこれほど自由に、様々な場所で使用されてきた背景には、著作権の問題も関係しています。

作曲者の瀬戸口藤吉は1941年に亡くなっており、旧著作権法および現行法に照らし合わせても、戦後の早い段階で著作権の保護期間が終了していました。

つまり、いわゆるパブリックドメインの状態にあったため、パチンコ店などの商業施設でも使用料を支払う必要がなく、手軽なBGMとして利用しやすかったという事情があります。

誰でも自由に演奏やアレンジができる環境が、この曲の普及を後押しした大きな要因の一つと言えます。

まとめ:多面的な軍艦マーチとは

まとめ:多面的な軍艦マーチとは

軍艦マーチとは、明治の近代化を象徴する勇壮な行進曲でありながら、戦後の大衆文化や海外の軍隊にまで深く入り込んだ、極めて稀有な楽曲です。

海上自衛隊の式典で感じる厳粛さと、かつてのパチンコ店で感じた熱気、その両方がこの曲の「顔」であり、その多面性こそが歴史の証人としての価値を高めていると言えるでしょう。

最後に、楽曲の歌詞や意味についてより深く考察したい方は、以下の記事も参考にしてみてください。

「君が代」の歌詞の意味を知ることで、日本の伝統的な歌詞表現への理解がさらに深まるはずです。

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