「竹田の子守唄」は、美しいメロディとは裏腹に、「怖い」「重たい」と感じる人も多い子守唄です。
なぜこの歌がそう感じられるのでしょうか?
そして、そこにはどのような歴史や意味が隠されているのでしょうか。
この記事では、「竹田の子守唄」の歌詞に込められた感情や社会的背景を丁寧に解説します。
また、放送自粛の理由や、赤い鳥によって広まった経緯、多くのアーティストに歌い継がれる理由なども紹介します。
読むことで、表面的な印象だけではわからない、この歌の深いメッセージと歴史的な価値を理解できるようになります。
- 歌詞に込められた社会的・歴史的背景
- 「在所」や「もんば飯」などの言葉の意味
- 放送自粛の理由とその経緯
- 赤い鳥をはじめとする広まりの過程
竹田の子守唄 歌詞の意味とその背景

- 竹田の子守唄の歌詞全文を解説
- 怖いと感じられる理由とは?
- 「在所越えて」に込められた意味とは
- 「もんば飯」の歌詞が示す差別の歴史
- 放送禁止になった背景をわかりやすく説明
- 「赤い鳥」が歌ったことで広まった理由
竹田の子守唄の歌詞全文を解説
「竹田の子守唄」は、日本の民謡の中でも特に深い背景を持つ楽曲の一つとして知られています。
元々は京都府伏見区竹田地区に伝わる民間伝承の子守唄で、1960年代のうたごえ運動を通じて採譜・編曲された後、多くのフォーク歌手によって広められました。
その中で特に有名になったのが、フォークグループ「赤い鳥」による歌唱です。
この歌の代表的な歌詞は、次の通りです。
守りもいやがる 盆からさきにゃ
雪もちらつく 子も泣くしこの子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやらはよも行きたや この在所こえて
向こうに見えるは 親のうち来いよ来いよ 小間物売りに
来たら見もする 買いもする久世の大根めし 吉祥の菜めし
またも竹田の もんばめし盆が来たとて なにうれしかろ
かたびらはなし 帯はなし
この歌詞を読むと、ただの子守唄とは違うことがすぐにわかります。
子守をしている少女が感じている辛さや寂しさが、率直な言葉で描かれています。
例えば「守りも嫌がる」という表現には、子どもをあやす役目がいかに苦しく、過酷な労働であるかがにじみ出ています。
また「盆が来たとて何うれしかろ」という歌詞には、祝いや節句すら楽しむ余裕がない生活の苦しさが表れています。
帷子(夏の着物)も帯もなく、まともな衣類を持っていない状況が語られているのです。
このように「竹田の子守唄」は、単なる民謡や童謡ではありません。
そこには、当時の社会構造や生活の厳しさ、そして被差別部落に生きる人々の現実が、静かに、しかし強く刻み込まれているのです。
聞き手は美しいメロディに癒されながらも、歌詞に目を向けることで、その裏にある物語や感情を想像することになります。
結果として、「竹田の子守唄」は、単なる懐かしさや郷愁を超えた、日本の歴史を語る貴重な音楽遺産として評価されてきたのです。
怖いと感じられる理由とは?
「竹田の子守唄」は、やさしく美しいメロディに包まれた子守唄でありながら、聴く人の中には「怖い」と感じる人が少なくありません。
その理由は、単なる旋律や歌詞の表現以上に、この歌が持つ背景や空気感に深く関係しています。
まず第一に、歌詞に描かれている情景がとても重く、暗い印象を与える点が挙げられます。
「守りも嫌がる」「帷子はなし 帯はなし」といった表現は、幼い少女が奉公先で辛い労働に従事し、着るものさえ満足に与えられない厳しい現実を描いています。
聞く人にとっては、こうした実情が突きつけられることで、無力感や悲しさが「怖さ」として心に残ることがあります。
また、この歌が生まれた背景に被差別部落の歴史が関係していることも、聞き手に特別な緊張感を与える要因になっています。
差別の問題を含んでいることを知ると、単なる昔話のようには受け取れなくなり、社会的な「触れてはいけないこと」に近づいてしまったような気持ちになる人もいるでしょう。
この感覚が「怖い」として表出することは珍しくありません。
さらに、歌詞の中に登場する「在所こえて」「もんば飯」といった言葉は、意味を知らないと不気味に感じられることもあります。
とくに「在所」という語に込められた可能性のある差別的なニュアンスや、「もんば飯」が象徴する貧困のイメージは、表面上の優しさとは裏腹に、重たい過去を連想させるのです。
そしてもう一つ、「竹田の子守唄」が放送禁止に近い扱いを受けたという事実も、知らず知らずのうちにこの歌を特別なもの、あるいは触れてはいけないもののように思わせてしまいます。
テレビやラジオで聞く機会が少なかったことも、その印象を強めています。
このように考えると、「竹田の子守唄」が怖いと感じられるのは、言葉や旋律そのものではなく、歌の背景にある社会問題、そして過去の抑圧や不条理への無意識的な反応によるものです。
人によっては、メロディの静かさや哀しさ自体が心の奥にある不安を引き出すこともあります。
しかし、この怖さは単なる恐怖ではなく、忘れてはいけない歴史への入り口とも言えます。
感じたことを丁寧にたどっていくことで、この歌が持つ意味と価値を、より深く理解できるようになるかもしれません。
「在所越えて」に込められた意味とは
「竹田の子守唄」に出てくる歌詞の中でも、「この在所こえて」という一節は、多くの議論を呼んできました。
表面的には「この場所を越えて、向こうに見える親の家に帰りたい」という意味に思えるかもしれません。
しかし、この短いフレーズには、もっと重い社会的背景が込められているとされています。
京都の言葉において「在所(ざいしょ)」という表現は、単に「地元」や「実家」を指すこともありますが、文脈によっては「被差別部落」という意味合いを含むこともあります。
したがって、「この在所こえて」とは、単なる場所の移動ではなく、「差別のある土地から解放されたい」という切実な思いが反映されている可能性があるのです。
もちろん、すべての解釈がこの社会的意味に結びつくわけではありません。
実際に歌詞を歌っていた当時の人々の中には、「在所」という言葉に差別的な意味を感じていなかった人もいました。
地域や世代によって、捉え方に差があったことは確かです。
ただし、1970年代にこの唄がテレビやラジオで流れなくなっていった背景には、「在所」という言葉が持つこの二重の意味が少なからず影響していると考えられています。
放送局が自主的にこの曲の使用を避けた事例も複数報告されています。
このことから、「在所こえて」という言葉には、単なる地理的な意味だけでなく、社会的な壁や苦しみ、そこからの脱出願望までもが凝縮されていると解釈することができます。
歌詞を深く読み解くことで、この唄に込められた時代背景や個人の感情を、より正確に理解する手助けになるのです。
「もんば飯」の歌詞が示す差別の歴史
「もんば飯」という言葉が登場する歌詞は、「久世の大根めし 吉祥の菜めし またも竹田の もんばめし」という一節です。
一見すると、地域ごとの食事の違いを描いた素朴な内容に見えますが、実際には深い意味を含んでいます。
歌に登場する「もんば飯」とは、豆腐を作る際に出る「おから」を炊き込んだご飯のことで、当時の庶民、とくに貧困層にとって身近な料理でした。
この歌詞が問題視された背景には、歌に描かれた三つの地域がすべて京都市内に存在する被差別部落であることが関係しています。
それぞれの土地で食べられていた「大根めし」「菜めし」「もんばめし」を並列で紹介する形になっており、とくに「またも竹田のもんばめし」という表現には、他地域と比較して劣った食文化を象徴するような響きがあると感じた人もいました。
さらに、この一節を最初に歌ったとされる女性・岡本ふくは、のちにこの歌詞を披露したことを「恥」と語り、「もう歌わないでほしい」と強く願ったと伝えられています。
このような経緯からもわかるように、「もんば飯」という言葉は単なる郷土料理ではなく、差別や貧困と直結する社会的背景を持つ存在として扱われてきました。
ただし、地域の人々の受け止め方には幅がありました。
「おから」を多く使った料理は、むしろ手間をかけて作られたものであり、誇りを持って振る舞っていたという声もあります。
一方で、それが「貧しさの象徴」とされることに抵抗を感じた人もいたのです。
このように、「もんば飯」という一語には、生活文化と差別構造が複雑に絡み合っています。
歌詞に含まれるほんの一行が、社会に与える影響の大きさを示す代表例といえるでしょう。
放送禁止になった背景をわかりやすく説明
「竹田の子守唄」が長年にわたり放送メディアで扱われなかった理由は、いわゆる「放送禁止歌」としての扱いにあります。
ただし、法律で明確に禁止されたわけではありません。
実際には、放送局や番組制作者が自主的に「避ける」判断を下してきた結果として、事実上の放送自粛状態になっていたのです。
その背景には、この歌の歌詞に含まれる「在所」や「もんば飯」といった表現が、被差別部落に関わる言葉として認識されていたことがあります。
とくに「在所こえて」という表現には、「部落を越えて自由になりたい」という意味が込められているのではないかとされました。
これにより、「差別を助長する」と解釈されるリスクを恐れ、放送局側が過剰に慎重になっていったと考えられます。
1980年代には、実際にフジテレビの番組考査部資料に「同和がらみでOA不可」と記載されていたことが、後に報道で明らかになっています。
このような記録からも、歌詞の内容を深く理解しないまま、「関わらない方が安全」という風潮が放送業界内に広がっていた実態がうかがえます。
一方で、部落解放同盟や当事者から直接的な抗議があったという記録は乏しく、むしろ「なぜこんなに良い歌が放送されないのか不思議だった」という声もあります。
つまり、実際の差別問題よりも、それに対する過剰な忖度や誤解が、自粛の連鎖を生んでいたのです。
このような経緯から、「竹田の子守唄」は「放送で流れない名曲」として語り継がれるようになりました。
社会的な配慮と表現の自由とのバランスが問われる事例として、今でも放送業界や音楽関係者にとっては重要なケースとなっています。
「赤い鳥」が歌ったことで広まった理由
「竹田の子守唄」が全国的に知られるようになったのは、フォークグループ「赤い鳥」による歌唱がきっかけです。
このグループが1971年にシングルとしてリリースしたバージョンが、広くヒットしたことで、一気に一般層にも浸透しました。
赤い鳥の音楽スタイルは、当時のフォークソングブームの中では異色でした。
メッセージ性よりも音楽そのものの美しさやハーモニーに重きを置き、独自の世界観を築いていました。
「竹田の子守唄」もその延長線上にあり、哀愁を帯びたメロディと繊細なコーラスが、多くの人の心をつかんだのです。
歌詞の中には過酷な労働や貧困、そして帰郷の願望が描かれていますが、赤い鳥のアレンジによって、それらの重たいテーマが淡く優しい音に包まれ、受け入れやすい形に昇華されました。
こうした表現によって、深刻な内容を含みながらも、多くのリスナーに愛される楽曲として定着したのです。
ただ、赤い鳥のメンバーはこの歌が持つ歴史的背景についても深く関心を寄せていました。
中心メンバーの後藤悦治郎は、歌詞の意味や出所を調べ上げ、「もんば飯」や「在所」の意味をステージで説明しながら歌うようになりました。
このように、表面的なヒットにとどまらず、歌に込められた背景をきちんと伝える姿勢を取ったことも、評価の一因となっています。
さらに、赤い鳥がこの歌を選んだこと自体にも意義があります。
当時は「翼をください」と並び、平和や社会的なメッセージを内包した曲が求められていた時代でした。
「竹田の子守唄」は、その静かな語り口によって、人々の記憶に残る力を持っていたのです。
こうした要素が重なり、「赤い鳥」の手によって歌われた「竹田の子守唄」は、ただの民謡ではなく、日本の音楽史に残る作品として大きな影響を与えることになりました。
竹田の子守唄 歌詞の意味を深める関連情報

- 元唄「コイコイ節」とのつながり
- 「五木の子守唄」との違いを知る
- 中華圏で歌われる意外なアレンジ
- 多くのアーティストに歌い継がれる理由
- 現代に再び注目され始めた社会的背景
多くのアーティストに歌い継がれる理由
「竹田の子守唄」は、1970年代にフォークグループ「赤い鳥」によって世に広まり、その後も数多くのアーティストによって歌い継がれてきました。
これほどまでに多くの歌い手がこの楽曲を取り上げる背景には、いくつかの大きな要因があります。
まず、音楽としての完成度が非常に高いという点が挙げられます。
旋律は静かで哀しく、それでいて深い余韻を残す独特の美しさを持っています。
シンプルな構成でありながら、声の重なりやハーモニーによって豊かな表現が可能であり、歌い手にとっては自由度が高く、歌いがいのある楽曲です。
ジャンルを問わず、民謡、フォーク、ポップス、さらにはジャズやアカペラにも編曲できる柔軟性を持っています。
次に、歌詞の力があります。
「守りも嫌がる」「盆が来たとて 何うれしかろ」などのフレーズは、現代の価値観から見ても強烈な印象を残します。
単に昔の生活を描いているのではなく、貧困、孤独、労働、差別といった普遍的なテーマが込められており、時代を越えて共感を呼び起こす力があります。
また、この唄が持つ社会的・歴史的な背景に惹かれるアーティストも少なくありません。
被差別部落にルーツを持つ民謡であるという点は、語られにくい日本の一面を伝える貴重な存在でもあります。
表舞台では語られなかった声をすくい上げるという意義を感じ、あえてこの曲を選ぶという姿勢が見られるのです。
さらに、「竹田の子守唄」は聴く人の解釈によって多層的な意味を持たせることができます。
悲しみの歌として、祈りの歌として、あるいは歴史への問いかけとしても成立するため、歌い手自身の思いやメッセージを重ねやすい特徴もあります。
このように、「竹田の子守唄」は単なる民謡ではなく、音楽としての魅力、社会的なメッセージ性、多様な解釈の余地が共存する楽曲です。
そのため、時代やスタイルを問わず、多くのアーティストにとって歌い継ぐ意味があると感じられているのです。
現代に再び注目され始めた社会的背景
近年、「竹田の子守唄」がふたたび注目されるようになった背景には、現代社会が抱えるさまざまな問題と関係しています。
とくに、貧困や差別、人権といったテーマがあらためて社会の関心を集めている中で、この歌が持つ意味が再評価されているのです。
一つのきっかけとなったのが、教育やメディアの場での「放送禁止歌」への関心の高まりです。
「竹田の子守唄」は、その代表例としてたびたび取り上げられるようになり、歌詞に含まれる言葉やその出所に興味を持つ人が増えました。
歌詞に登場する「在所」「もんば飯」といった表現が、どのような背景を持ち、なぜ問題視されたのかを知ろうとする動きが広がっています。
また、過去に放送自粛の対象となったこの歌が、実は地域の人々によって大切に歌い継がれていたという事実も、多くの人にとって驚きと発見をもたらしました。
部落出身の高齢者が語る記憶や、地域で復活しつつある元唄の活動など、声なき声に光が当たる機会が増えてきたのです。
社会全体で「多様性」や「包摂(インクルージョン)」が求められる中で、かつて隠されていた歴史や声に向き合おうとする姿勢も強まっています。
「竹田の子守唄」はその象徴のような存在となり、文化的な意義だけでなく、人権教育や地域活動の一環としても見直されているのです。
さらに、音楽そのものが持つ力もあらためて注目されています。
静かな旋律が人々の心に染み入り、情報として知るよりも深く訴えかけることで、言葉では伝えきれない現実を共有する手段となっているのです。
こうした流れの中で、「竹田の子守唄」は再び人々の前に立ち現れています。
かつての封印を解くように、過去と向き合い、未来への問いを投げかける存在として、多くの場面で歌い直されているのです。
竹田の子守唄 歌詞 意味から読み解く歴史と背景のまとめ
竹田の子守唄は、ただの民謡ではなく、深い歴史や社会的背景を持つ貴重な楽曲です。
歌詞の一つ一つに込められた意味を知ることで、見えてくるものがあります。
これを機に、歌としての美しさだけでなく、その背後にある物語にも目を向けてみてください。
- 京都伏見の竹田地区に伝わる子守唄が原型
- 1960年代にうたごえ運動を通じて採譜・編曲された
- 歌詞は奉公に出された少女の悲しみを表現している
- 「在所」は被差別部落を指す言葉として扱われることがある
- 「もんば飯」はおからを使った貧しい食事の象徴
- 差別的な背景を含むとして一時期放送が自粛された
- 放送禁止ではないがメディア側が自主規制していた経緯がある
- フォークグループ「赤い鳥」の歌唱で全国に広まった
- 歌詞の意味を調査し伝える姿勢が赤い鳥に評価された
- 多くのアーティストがジャンルを超えてカバーしている
- 子守唄としては異例の社会性を持った歌である
- 歌詞に出てくる語句の意味が不明で不気味に感じられることがある
- 差別の歴史を知らずに聴くと違和感や恐怖を覚える人もいる
- 元唄「コイコイ節」や地域の伝承歌とつながりがある
- 近年は人権や多様性の視点から再評価が進んでいる