北朝鮮の国歌についてリサーチしているあなたは、ニュースで報じられた歌詞の変更や、そのメロディが持つ独特の雰囲気に関心を持っているのではないでしょうか。
特に2024年に入ってからの歌詞改変は、単なる言葉の修正にとどまらず、朝鮮半島の情勢を大きく変える政治的な意味が含まれていると言われています。
また、なぜ北朝鮮の国歌は怖いと感じられるのか、あるいは名前が同じである韓国の国歌との違いはどこにあるのかといった疑問も尽きません。
この記事では、そうした複雑な背景や音楽的な特徴を整理し、現在の北朝鮮が国歌を通じて何を主張しようとしているのかを紐解いていきます。
- 北朝鮮国歌の基本的な成り立ちと2024年の歌詞変更の詳細
- 「三千里」という言葉が削除された政治的な背景と意味
- 北朝鮮の国歌が「怖い」と感じられる心理的・音楽的な理由
- 韓国の国歌との比較から見える両国の決定的な違い
激動する北朝鮮国歌の歴史と歌詞変更の真実

北朝鮮の国歌は、建国以来長らく歌い継がれてきた楽曲ですが、近年その歌詞に重大な変更が加えられたことで再び注目を集めています。
ここではまず、この歌がどのような経緯で作られ、そしてなぜ今、その歌詞が書き換えられなければならなかったのか、その核心に迫ります。
愛国歌と呼ばれる曲名や作曲者の基礎データ
北朝鮮の国歌の正式名称は「愛国歌(エグッカ)」です。
この曲は、北朝鮮が建国される前年の1947年に制定されました。
作詞は詩人の朴世永(パク・セヨン)、作曲は北朝鮮音楽界の重鎮である金元均(キム・ウォンギュン)によるものです。
興味深いのは、この曲が作られた当時の背景です。
1945年の解放直後、朝鮮半島では南北ともに、既存の民謡やスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」のメロディに乗せた愛国歌が歌われていました。
しかし、独自の社会主義国家建設を目指していた北側の指導部は、南側(後の韓国)とは異なる新しい国家の象徴を必要としていました。
そこで新たに創作されたのが、この勇壮なメロディを持つ現行の愛国歌なのです。
歌詞の日本語訳に見る資源と忠誠のメッセージ
この国歌の歌詞には、北朝鮮という国家が重視する価値観が色濃く反映されています。
具体的には、「銀と金に満ちた」という表現で豊かな天然資源を誇り、「燦然たる文化」や労働への意欲を鼓舞する内容が含まれています。
日本語訳を通して歌詞全体を眺めると、単なる情緒的な風景描写よりも、国家建設への強い意志や、資源と労働力を基盤とした自立への願いが込められていることが読み取れます。
これは、当時の社会主義圏で求められていた「大衆を動員し、鼓舞するための芸術」という役割を忠実に果たしていると言えるでしょう。
2024年に国歌の歌詞変更が行われた経緯
2024年2月、北朝鮮外務省のウェブサイトなどで、国歌の歌詞の一部が変更されていることが確認され、国際社会に衝撃を与えました。
長年歌われてきた歌詞の一部が、突如として書き換えられたのです。
この変更は、単なる誤植や芸術的な修正ではありません。
北朝鮮の最高指導者である金正恩総書記が、2023年末から2024年初頭にかけて打ち出した「対南政策の根本的な転換」と完全にリンクした動きであると推測されます。
国歌という国家の最高象徴を変更してまで、彼らが表現したかった意志とは何だったのでしょうか。
歌詞から三千里という言葉が削除された意味
変更されたのは、歌詞の1番にある「三千里 美しい我が祖国」という部分です。
ここが「この世の 美しい我が祖国」へと書き換えられました。
「三千里(サムチョンリ)」とは、朝鮮半島の南北の長さがおよそ三千里(約1,200km)であることに由来する言葉で、古くから「朝鮮半島全域」を指す代名詞として使われてきました。
この言葉が国歌に含まれていたことは、かつて北朝鮮が「南側を含む朝鮮半島全域が自国の領土である」と考え、いずれは統一するという意志を持っていたことの証左でした。
しかし、この「三千里」を削除したという事実は、北朝鮮がその伝統的な統一観を放棄したことを強く示唆しています。
統一の否定を象徴する歌詞改変の政治的背景
この歌詞改変の背景には、韓国を「同族」や「統一の相手」ではなく、「徹底的な敵対国」とみなす新しい外交方針があります。
これを専門的な文脈では「二つの国家論」と呼ばれることもあります。
これまでは「いつか一つになる同じ民族」という建前が存在しましたが、今回の改変によって「我々と韓国は別の国であり、しかも交戦中の敵同士である」という現実認識が強調された形です。
国歌から統一を連想させる言葉を排除することで、国民に対しても「韓国は切り捨てるべき対象」という意識を植え付ける狙いがあると考えられます。
北朝鮮国歌が怖いとされる理由や韓国との違い

インターネット上で検索すると、「北朝鮮 国歌 怖い」というキーワードをよく目にします。
また、同じ「愛国歌」という名前を持つ韓国の国歌と混同されることも少なくありません。
ここでは、なぜ多くの人がこの曲に恐怖を感じるのか、そして韓国の国歌とは具体的に何が違うのかを分析します。
北朝鮮の国歌が怖いと言われる心理的な要因
北朝鮮の国歌を聞いて「怖い」と感じる理由の一つに、その音楽的なスタイルが挙げられます。
この曲は社会主義リアリズムの影響を強く受けており、聴衆を高揚させ、戦闘や労働に駆り立てるような力強いオーケストレーションが特徴です。
金管楽器によるファンファーレや、軍靴の響きを連想させる重厚なリズムは、平和な環境に慣れた私たちにとって、ある種の威圧感として響くことがあります。
また、ニュース映像などで流れる軍事パレードやミサイルの映像とセットで記憶されていることも、恐怖心を増幅させる要因となっているでしょう。
北朝鮮と韓国の国歌における明確な違い
北朝鮮と韓国の国歌は、どちらも「愛国歌」というタイトルですが、その中身は全くの別物です。
以下の表で主な違いを整理しました。
| 項目 | 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) | 韓国(大韓民国) |
|---|---|---|
| 曲調 | 革命的、戦闘的な行進曲風 | 宗教的、叙情的な賛美歌風 |
| 歌詞のテーマ | 資源、労働、党への忠誠、闘争 | 国花(無窮花)、保全、平和への祈り |
| 「三千里」 | 2024年に削除 | 現在も歌詞に含まれる |
このように比較すると、北朝鮮の国歌が「闘うための歌」であるのに対し、韓国の国歌は「国を愛し守るための歌」という性格が強いことがわかります。
韓国の国歌の詳細な歴史や意味については、こちらの記事で深く掘り下げています。
同じ愛国歌という名称でも異なる制定の背景
なぜ両国とも同じ「愛国歌」という名前なのでしょうか。
これは、分断される前の朝鮮半島において、「愛国歌」という言葉が特定の曲名というよりは、「国を愛する歌」全体を指す一般名詞のように使われていた名残だと考えられます。
解放直後までは、左右両陣営が同じ歌(オールド・ラング・サインのメロディ)を口ずさむこともありました。
しかし、イデオロギーの対立が決定的になるにつれて、北朝鮮は独自の曲を作り、韓国は歌詞を継承しつつ別の曲をつけるという道を歩みました。
名前が同じであることは、かつて一つの民族であった歴史の皮肉な痕跡とも言えます。
将軍の歌よりも国歌の演奏頻度が低い理由
北朝鮮には「歌謡政治」と呼ばれる独特の文化がありますが、実は国内において国歌である「愛国歌」よりも優先して演奏される曲があります。
それが「金日成将軍の歌」や「金正日将軍の歌」です。
最高指導者を称えるこれらの歌は、事実上の「第一国歌」のような扱いを受けており、各種行事の冒頭で必ず演奏されます。
一方、「愛国歌」は対外的な儀式や、国家としての体裁を整える場面で使用されることが多く、国内の政治的ヒエラルキーにおいては、指導者賛歌の方が上位に位置付けられているという特殊な事情があります。
オリンピックなど国際舞台での国歌の扱い
国内では指導者賛歌の陰に隠れがちな「愛国歌」ですが、オリンピックやサッカーワールドカップ予選などの国際スポーツ大会では、北朝鮮を代表する唯一の歌として演奏されます。
国際社会において北朝鮮が「朝鮮民主主義人民共和国」という主権国家として振る舞う際、この国歌は不可欠なツールとなります。
選手たちが涙を流しながら国歌を歌うシーンが見られますが、そこには国家への忠誠心だけでなく、厳しい国際情勢の中で戦う彼らなりの複雑な感情が入り混じっているのかもしれません。
変貌する北朝鮮国歌が示す今後の国家戦略

2024年の歌詞変更は、北朝鮮が今後どのような道を歩もうとしているのかを明確に示しています。
それは、韓国との平和統一を完全に諦め、敵対的な二国間関係を固定化するという宣言です。
今後、教科書や地図からも「統一」や「三千里」といった概念が消えていくことが予想されます。
国歌の歌詞が変わったということは、北朝鮮国民の意識そのものを改造しようとする国家プロジェクトが進行中であることを意味します。
「愛国歌」は今、単なる歌ではなく、冷徹な外交メッセージを発信する政治的武器へと変貌を遂げたと言えるでしょう。
本記事の情報は執筆時点のものです。北朝鮮の情勢は流動的であり、公式見解や歌詞が予告なく変更される可能性があります。正確な情報は専門機関の資料等をご確認ください。





