イタリアの国歌は何かご存知でしょうか。
サッカーの国際試合などで耳にする機会も多い、あの情熱的でかっこいいと評判の曲です。
この歌は Fratelli d’Italia とも呼ばれ、その意味や由来、いつ頃作られたのか、そして作曲家は誰なのか気になりますよね。
この記事では、イタリア国歌の歌詞をテーマに、カタカナでの読み方から詳しい日本語訳、歴史的な背景が示す本当の意味まで、その特徴を徹底解説します。
公式な楽譜に関する情報もあわせてご紹介します。
- イタリア国歌の基本的な情報や歴史がわかる
- 歌詞の全文とカタカナでの読み方がわかる
- 歌詞に込められた本当の意味を理解できる
- 国歌にまつわる興味深い豆知識が身につく
イタリア国歌の歌詞と基本情報

- イタリアの国歌は?
- Fratelli d’Italia の意味は?
- いつ制定された?国歌の由来
- 作曲家と公式な楽譜について
- かっこいいと評判の国歌
- 演奏や歌い方の特徴とは
イタリアの国歌は?

イタリア共和国の国歌は、法律で定められた正式名称を「Il Canto degli Italiani(イル・カント・デッリ・イタリアーニ)」、日本語で「イタリア人の歌」といいます。
しかし、この正式名称で呼ばれることは少なく、作詞者ゴッフレード・マメーリの名にちなんで「Inno di Mameli(インノ・ディ・マメーリ)」、つまり「マメーリの賛歌」という通称が最も広く使われています。
また、歌い出しの歌詞から「Fratelli d’Italia(フラテッリ・ディターリア)」、日本語で「イタリアの同胞よ」と呼ばれることも非常に多いです。
このように、イタリア国歌には複数の呼び名が存在します。
ちなみに、ジュゼッペ・ヴェルディ作曲のオペラ「ナブッコ」の合唱曲「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」は、国民に広く愛されており、「第二の国歌」と称されることもあります。
項目 | 内容 |
---|---|
正式名称 | Il Canto degli Italiani(イタリア人の歌) |
主な通称 | Inno di Mameli(マメーリの賛歌)、Fratelli d’Italia(イタリアの同胞) |
作詞 | Goffredo Mameli(ゴッフレード・マメーリ) |
作曲 | Michele Novaro(ミケーレ・ノヴァーロ) |
制作年 | 1847年 |
正式採用年 | 2017年 |
Fratelli d’Italia の意味は?

「Fratelli d’Italia(フラテッリ・ディターリア)」とは、イタリア語で「イタリアの同胞よ」または「イタリアの兄弟よ」という意味です。
これは国歌の冒頭に出てくる非常に象徴的なフレーズであり、国民への力強い呼びかけとなっています。
- Fratelli (フラテッリ)
fratello(兄弟)の複数形。血縁関係にある兄弟だけでなく、同じ目的や志を持つ「仲間」「同胞」といった意味合いで広く使われる言葉です。 - d’ (ディ)
di(~の)という前置詞が、母音で始まる Italia の前で短縮された形です。 - Italia (イタリア)
国名のイタリアを指します。
この呼びかけは、当時多くの小国に分裂していたイタリアの民衆に対し、一つの国民として団結し、外国の支配から国を解放しようという強いメッセージが込められています。
そのため、単なる国歌のタイトルというだけでなく、イタリア国民のアイデンティティそのものを表す言葉として親しまれています。
いつ制定された?国歌の由来

イタリア国歌が正式に法律で定められたのは2017年12月と、その歴史に比べて比較的最近のことです。
それまでの約70年間は「暫定的な国歌」という位置づけでした。
国歌の由来
この歌の由来は、イタリア統一運動、いわゆるリソルジメントの機運が高まっていた1847年に遡ります。
当時、イタリアはオーストリアなどの外国勢力に支配され、いくつかの小国に分裂していました。
そのような状況下で、ジェノヴァ出身の若き詩人であり愛国者であったゴッフレード・マメーリが「イタリア人の歌」と題した詩を書き上げます。
当時彼はまだ20歳の学生でした。
この詩はトリノにいた作曲家ミケーレ・ノヴァーロの元へ送られます。
歌詞に深く感銘を受けたノヴァーロは、すぐさま曲を付け、現在の国歌が誕生しました。
この歌は瞬く間にイタリア統一を願う人々の間で人気を博し、革命のシンボル的な歌としてイタリア全土に広まっていったのです。
正式制定までの道のり
第二次世界大戦後、1946年の国民投票により王政が廃止されイタリア共和国が成立します。
このとき、それまでの国歌「王室行進曲」に代わり、「マメーリの賛歌」が暫定的な国歌として採用されました。
しかし、その後正式な国歌を定める法制化の動きは何度も頓挫します。
ようやく4度目の挑戦となった2017年、法律N.181によって「イタリア人の歌」は名実ともにイタリア共和国の国歌となったのです。
作曲家と公式な楽譜について

この情熱的な国歌を作曲したのは、ジェノヴァ出身のミケーレ・ノヴァーロ(1818年~1885年)です。
彼はオペラやバレエ音楽も手掛ける作曲家であり、歌劇場のコーラスマスターとしても活動していました。
1847年、ノヴァーロは同郷の詩人マメーリが書いた愛国的な歌詞に心を動かされ、一晩でこの曲を書き上げたと伝えられています。
彼の作ったメロディーは、人々の士気を高揚させる力強い行進曲調でありながら、イタリアオペラのような劇的な旋律を兼ね備えていました。
この曲が、統一運動の中で多くの人々の心を掴んだ大きな要因の一つです。
しかし、ノヴァーロ自身は後年、経済的に恵まれず、貧困の中でその生涯を終えました。
彼の墓は、故郷ジェノヴァの歴史的な記念墓地にあります。
公式な楽譜
2017年に国歌を定めた法律では、ゴッフレード・マメーリの歌詞とミケーレ・ノヴァーロの「オリジナルの楽譜」が国歌であると明確に規定されています。
これにより、演奏方法の基準が法的に裏付けられました。
また、この国歌は後に「アイーダ」や「椿姫」で知られるイタリアの偉大なオペラ作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディによって編曲された版も存在します。
ヴェルディ版はよりオーケストラの響きが豊かで荘厳なアレンジが施されており、こちらも広く知られています。
>> イタリア国歌/Inno di Mameli(ぷりんと楽譜)
かっこいいと評判の国歌

イタリア国歌が「かっこいい」と評される理由は、その高揚感あふれるマーチ(行進曲)風のメロディーにあります。
多くの国の国歌が荘厳で落ち着いた曲調であるのに対し、イタリア国歌は非常に情熱的でリズミカルです。
この曲が作られたのは、前述の通り、外国の支配に抵抗し、国の統一を目指す革命の真っただ中でした。
そのため、兵士や民衆の士気を鼓舞し、団結を促す目的が色濃く反映されています。
聴く者の心を奮い立たせるような明るく勇ましい旋律は、こうした歴史的背景から生まれたものなのです。
また、オペラ文化が深く根付いているイタリアならではの、ドラマティックで歌い上げたくなるようなメロディーラインも魅力の一つです。
2009年には、当時のベルルスコーニ首相が「死ぬ準備はできている」という一節で「まあまあだ」というようなジェスチャーをして話題になるなど、国民にとって非常に身近で、時にユーモアの対象にもなるほど親しまれています。
演奏や歌い方の特徴とは

イタリア国歌の演奏や歌い方には、いくつかの慣例的な特徴があります。
まず、公式なイベントや式典で演奏される際は、全5番(または6番)ある歌詞のうち、最初の1番とコーラス部分だけを演奏するのが一般的です。
時間にしておよそ1分程度で、これは全ての歌詞を演奏すると長くなるためです。
そして、最も特徴的なのが、曲の最後に全員で「Sì!(スィ!)」と叫ぶことです。
この「Sì!」はイタリア語で「そうだ!」「Yes!」を意味する言葉ですが、実は公式の歌詞には含まれていません。
しかし、歌唱の際には必ずと言っていいほどこの掛け声が加わり、演奏のクライマックスを飾ります。
この習慣は広く定着しており、大統領府の公式サイトで紹介されている英訳の歌詞にも「Yes!」と記載されているほどです。
この最後の「Sì!」がスタジアムや広場で一体となって響き渡る瞬間は、鳥肌が立つほどの一体感を生み出します。
また、2012年には国歌がまだ暫定的な地位にあったにもかかわらず、学校教育で国歌を教えることを義務付ける法律が成立しました。
国歌自体が法で定められていないのに、学校で教えることを求めるという少し不思議な状況が数年間続いていたことも、イタリアらしいエピソードと言えるかもしれません。
有名なイタリア国歌の歌詞を徹底解説

- 歌詞のカタカナ読み方ガイド
- 歌詞の日本語訳と単語の意味
- 歌詞に隠された歴史的な意味
- サッカーの試合で歌われる理由
- 総まとめ:イタリア国歌の歌詞
歌詞のカタカナ読み方ガイド

イタリア国歌を歌ってみたい方のために、最も歌われることが多い1番とコーラス部分の歌詞とカタカナでの読み方をまとめました。
イタリア語歌詞 | カタカナ読み |
---|---|
Fratelli d’Italia, | フラテッリ ディターリア |
l’Italia s’è desta; | リターリア セ デスタ |
dell’elmo di Scipio | デッレルモ ディ シーピオ |
s’è cinta la testa. | セ チンタ ラ テスタ |
Dov’è la vittoria? | ドヴェ ラ ヴィットーリア |
Le porga la chioma | レ ポルガ ラ キォーマ |
ché schiava di Roma | ケ スキアーヴァ ディ ローマ |
Iddio la creò. | イッディーオ ラ クレオー |
(コーラス) | |
Stringiamci a coorte! | ストリンジャームチ ア コオルテ |
Siam pronti alla morte; | スィアム プーロンティ アッラ モルテ |
Siam pronti alla morte; | スィアム プーロンティ アッラ モルテ |
Italia chiamò. (Sì!) | イターリア キァモ(スィ!) |
歌詞の日本語訳と単語の意味

国歌の1番とコーラスの日本語訳は以下の通りです。
歌詞に込められた強い意志を感じ取ることができます。
イタリア語歌詞 | 日本語訳 |
---|---|
Fratelli d’Italia, l’Italia s’è desta; | イタリアの同胞よ、イタリアは目覚めた |
dell’elmo di Scipio s’è cinta la testa. | スキピオの兜を、その頭に戴いた |
Dov’è la vittoria? Le porga la chioma | 勝利の女神はどこだ?その髪を(イタリアに)捧げよ |
ché schiava di Roma Iddio la creò. | 神が彼女をローマの奴隷として創造したのだから |
(コーラス) | |
Stringiamci a coorte! | 我らを隊列に加えよ!(団結せよ!) |
Siam pronti alla morte; Italia chiamò. | 我らは死ぬ準備ができている、イタリアが呼んでいる |
重要な単語の解説
歌詞を深く理解するために、鍵となる言葉の意味を知ることが重要です。
- スキピオの兜
古代ローマ時代の偉大な将軍、大スキピオ(スキピオ・アフリカヌス)のことです。彼は第二次ポエニ戦争において、カルタゴの猛将ハンニバルをザマの戦いで打ち破り、ローマを勝利に導いた英雄です。この一節は、「かつてローマが強大な敵を打ち破ったように、我々イタリア人も古代ローマの英雄と同じ兜をかぶり、断固たる決意で戦う準備ができた」という強い意志の表れです。 - 勝利の女神(Vittoria)
「勝利の女神はどこだ?」と問いかけ、「彼女はローマの奴隷なのだから髪を捧げよ」と続きます。これは、勝利の女神(ヴィットーリア)は常にイタリア(ローマ帝国の後継者)に仕える運命にあり、勝利は我々のために約束されている、という非常に大胆な表現です。古代では、奴隷は奉仕のしるしとして髪を短く切る習慣があったため、「髪を捧げよ」とは「我々に仕え、勝利をもたらせ」という命令を意味しています。 - コオルテ(Coorte)
「Stringiamci a coorte!」は直訳すると「我らをコホルテに集めよ!」となります。コホルテとは、古代ローマ軍の歩兵隊のことで、約300~600人で構成される部隊単位を指します。ここでは「国民よ、古代ローマ軍のように固く団結し、一つの軍団となって戦おう」という団結への力強い呼びかけとなっています。
歌詞に隠された歴史的な意味

イタリア国歌の2番以降の歌詞には、作詞された19世紀半ばまでのイタリアの苦難の歴史と、それに対する抵抗の精神が凝縮されています。
各節が特定の歴史的出来事を参照しており、イタリア人の愛国心を掻き立てる内容となっています。
2番: 分裂国家の悲しみ
「我らは何世紀もの間、踏みつけられ、嘲笑されてきた。なぜなら我々は一つの民族ではなく、分裂していたからだ。」という歌詞から始まります。
これは、長年にわたり小国に分裂し、外国勢力の干渉を受け続けてきたイタリアの悲しい歴史を歌っています。
そして、「一つの旗、一つの希望のもとに我らをまとめよ。団結の時は今来たのだ」と、国家統一への強い願いを表明します。
3番: 神の下での団結
「団結しよう、愛し合おう。団結と愛は、神の道を示す。我らが生まれた土地を解放することを誓おう。神のために団結した我らを、誰が打ち破れようか」と歌います。
ここでは、宗教的な連帯感を背景に、神の名の下で団結すれば誰にも負けないという、強い信念が表現されています。
4番: 過去の英雄たち
この節では、イタリア史における外国支配への抵抗の象徴が次々と登場します。
- レニャーノの戦い(1176年)
ロンバルディア同盟が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世を破った戦い。 - フランチェスコ・フェルッチオ(1530年)
フィレンツェ共和国を守り、皇帝軍と戦って壮絶な死を遂げた傭兵隊長。 - バリッラ(1746年)
オーストリア占領下のジェノヴァで、石を投げて反乱の口火を切ったとされる少年、ジョヴァン・バッティスタ・ペラッソのあだ名。 - シチリアの晩祷(1282年)
フランス支配下のシチリアで起きた住民の大規模な反乱。
これらの出来事を並べることで、「アルプスからシチリアまで、イタリア全土に抵抗の精神は宿っている」と訴えかけています。
5番: オーストリアとポーランド
「オーストリアの鷲(皇帝の紋章)は羽を失った」「傭兵の剣は葦のように曲がった」と、当時北イタリアを支配していたオーストリア帝国の弱体化を歌います。
続く「イタリアの血とポーランドの血を、コサック(ロシア)と共に飲んだが、その心臓を焼いた」という部分は少し複雑です。
これは、オーストリア、ロシア、プロイセンによるポーランド分割と、オーストリアによるイタリア支配を重ね合わせ、両国の苦しみを共有しています。
そして、抑圧者が流させたイタリア人とポーランド人の血は、やがて毒となって彼ら自身を滅ぼすだろう、という強い呪詛と抵抗の意志が込められているのです。
サッカーの試合で歌われる理由

イタリア国歌がサッカーの国際試合で特に情熱的に歌われるのは、国歌がナショナル・アイデンティティと誇りの最も強力な象徴だからです。
国を背負って戦う選手たちと、彼らを応援するサポーターが、試合前の国歌斉唱を通じて一つになります。
特に、勇壮で情熱的なメロディーを持つイタリア国歌は、チームの士気を最大限に高め、これから始まる戦いへの決意を固めるための重要な儀式となっています。
イタリア代表「アズーリ」の選手たちが、目を閉じ、肩を組み、声を張り上げて国歌を歌う姿は、多くのファンの心を打ち、試合への期待感を高めます。
この「国歌で士気を高める」という考えは、具体的な形で表れることもあります。
例えば、高級ブランドのエンポリオ アルマーニのスポーツラインであるEA7は、長年イタリア代表チームの公式ユニフォームを提供していますが、そのユニフォームの内側には国歌の歌詞が金色の糸で刺繍されています。
これは、ユニフォームに袖を通す選手たちが、常に国民の想いと共にあることを感じられるように、という粋な計らいなのです。
このように、サッカーの試合における国歌斉唱は、単なる形式的なものではなく、選手と国民の魂を結びつけ、チームを勝利へと導くための力強いパフォーマンスの一部となっています。
総まとめ:イタリア国歌の歌詞

- イタリア国歌の正式名称は「イタリア人の歌」
- 通称は「マメーリの賛歌」や「イタリアの同胞」
- 作詞は22歳で夭折した詩人ゴッフレード・マメーリ
- 作曲はジェノヴァ出身のミケーレ・ノヴァーロ
- 1847年にイタリア統一運動の中で生まれた
- 正式な国歌となったのは2017年と最近のこと
- それまでは70年以上も暫定的な国歌だった
- 歌詞には古代ローマの英雄や歴史的事件が多数登場する
- スキピオの兜はカルタゴに勝利した覚悟の象徴
- ポーランド人が登場するのは共闘の歴史への敬意
- メロディーは勇壮な行進曲スタイルでかっこいいと評判
- 公式行事では1番のみ歌われるのが一般的
- 歌詞にない「Sì!」と最後に叫ぶのが慣例
- サッカー代表のユニフォームにも歌詞が刺繍されている
- 3月17日は国歌や国旗を祝う国民の祝日である