美しいメロディーでありながら、どこか寂しげな響きを持つ竹田の子守唄について調べると、「怖い」という言葉や放送禁止に関する噂を目にすることがあります。
かつてフォークグループ「赤い鳥」がヒットさせたこの曲が、なぜメディアから姿を消したのか、歌詞に登場する「在所」や「もんばめし」とは何を意味するのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、単なる心霊的な怖さではなく、背景にある歴史や社会的な事情を丁寧に紐解いていきます。
この曲が「怖い」と言われる主な理由は、歌詞に描かれた守り子(子守奉公)の過酷さが生々しいことと、「放送禁止」と呼ばれる扱いが長く続いたことで“触れてはいけない歌”の印象が強まった点にあります。
いずれもオカルトではなく、社会的背景から生まれた受け止め方として整理すると理解しやすくなります。
- 歌詞に込められた守り子の過酷な労働環境と悲哀について
- 放送禁止となった本当の理由と自主規制の経緯
- 在所やもんばめしといった言葉が持つ歴史的背景
- 楽曲がたどった数奇な運命と現在の評価
竹田の子守唄が怖いと言われる歌詞の意味

この楽曲が「怖い」と表現される背景には、歌詞に描かれた情景のリアリティや、特定の言葉が持つ重い意味が含まれていると考えられます。
まずは歌詞を深く読み解くことで、その本質に迫ってみましょう。
歌詞の意味に隠された守り子の悲哀

竹田の子守唄の歌詞には、幼くして親元を離れ、住み込みで子守奉公をしなければならなかった少女たちの心情が綴られています。
一般に「守り子」や「子守奉公」は、雇い主の家で子どもの世話を担う代わりに衣食住を得る働き方を指し、歌詞はその立場の弱さや逃げ場のなさを想起させるとして読まれてきました。
「守りもいやがる 盆から先にゃ」という有名な一節は、お盆を過ぎて秋から冬へと向かう季節の厳しさと、労働の辛さを嘆くものと解釈されるのが一般的です。
特に「雪がちらつくし 子は泣くし」という部分は、寒さと泣き止まない赤ん坊、そしておそらくは雇い主からの叱責に怯える、逃げ場のない状況を描写していると捉えることができます。
ここで使われている「いじる」という言葉は、現代の「いじくる」ではなく、京都の方言で「いじめる(虐める)」を意味すると説明されることが多いです。
精神的に追い詰められた少女にとっては、泣き止まない赤ん坊さえもが自分を苦しめる存在(加害者)のように感じられた可能性があります。
この切迫した心理状態が、現代の聴き手にも一種の凄みや恐怖として伝わっているのかもしれません。
歌詞の「いじる」は「いじめる」という意味で使われており、守り子の精神的な追い詰められ方を表していると考えられます。
もんばめしに見る貧困と差別の現実

歌詞の中に登場する食事の描写は、当時の地域ごとの貧富の差を鮮烈に映し出しているといえます。
特に注目されるのが以下の比較です。
- 久世の大根めし
- 吉祥の菜めし
- 竹田のもんばめし
ここで歌われる「もんばめし」とは、豆腐の絞りカスであるおからや、籾殻(もみがら)が混ざったようなくず米を指す言葉として紹介されることがあります。
久世や吉祥といった近隣の地域も決して裕福ではなかったと推測されますが、竹田地区の食事はそれ以上に厳しいものであったことがうかがえます。
「あっちの村は大根や菜っ葉が入っていていいな」と羨む少女たちの姿からは、生きるための最低限の食事さえ満足に摂れなかった極度の貧困が見え隠れします。
この「食べるものすらない」という生存の危機的状況こそが、心霊的なものとは異なる、現実的な怖さの正体の一つといえるでしょう。
在所という言葉が指す場所と背景

「この在所こえて」という歌詞にある「在所(ざいしょ)」という言葉も、様々な議論を呼んできたキーワードです。
辞書的には田舎や実家、あるいは現在住んでいる場所を意味する言葉ですが、京都の一部地域などでは、被差別部落を指す隠語として使われることがあったとされています。
文脈としては、「今いる辛い奉公先を離れて、親のいる家に帰りたい」という少女の切実な願いとして読むのが自然です。
しかし、1970年代以降のメディア関係者の間では、この言葉が持つ社会的な意味合いを過剰に懸念する動きがあったといわれています。
単なる地理的な移動だけでなく、「生まれ育った身分や境遇から抜け出したい」という悲痛な叫びとして解釈されることもあり、その重層的な意味合いが楽曲に深みと影を与えているといえそうです。
この語が一般語としても使われる一方、差別と結び付いた用例が語られてきた経緯があるため、歌詞の読み方や取り上げ方は文脈(教育・研究・鑑賞など)に応じた配慮が求められる場面があります。
「在所」という言葉には複数の意味があり、文脈や受け取り手によって解釈が分かれることがあります。
呪いや心霊の噂は都市伝説に過ぎない
インターネット上では、「この曲を聴くと呪われる」「レコーディングに幽霊の声が入っている」といった噂が語られることがありますが、これらは根拠のない都市伝説である可能性が高いです。
また、「親の家」を「あの世」と解釈し、この歌を「死にたい」と願う自殺志願の歌だとする説も見かけます。
しかし、守り子にとっての実家は物理的な帰るべき場所であり、基本的には「生きて帰りたい」という生への執着を歌ったものと考えるのが妥当でしょう。
こうした怖い話が生まれた背景には、後述する放送禁止という事情が関係していると考えられます。
「なぜかテレビで流れない曲」という不思議な状況に対し、人々がオカルト的な理由で納得しようとした結果、噂が一人歩きしたといえるかもしれません。
赤い鳥の解散理由とメンバーの確執

この曲を大ヒットさせたフォークグループ「赤い鳥」の解散理由として、竹田の子守唄をめぐるメンバー間のスタンスの違いが挙げられることがあります。
リーダーの後藤悦治郎は、この歌のルーツを知り、被差別部落の問題や貧困を告発するメッセージソングとして歌おうとしたといわれています。
一方で、メインボーカルの山本潤子は、純粋に音楽として美しいメロディーを届けることに重きを置き、政治的な意味づけをされることに違和感を持っていたという話も伝わっています。
「社会へのメッセージ」か「純粋な音楽」か。
この芸術的な方向性の違いが、グループの活動に影響を与えた側面はあるかもしれません。
美しいハーモニーの裏にあった人間ドラマも、この楽曲の物語の一部といえます。
竹田の子守唄の怖い噂と放送禁止の真相
「竹田の子守唄」が怖いと言われる最大の要因の一つは、この曲が長らくメディアから姿を消していた「放送禁止」の歴史にあります。
ここでは、その実態と社会的な背景について解説します。
放送禁止になった理由と自主規制の闇
結論から言えば、竹田の子守唄を放送してはならないという法律があったわけではありません。
いわゆる「放送禁止」は、テレビ局やラジオ局による自主規制の結果であったとされています。
放送法は番組編集の原則や番組基準の整備などを定めていますが、少なくとも同法が特定の楽曲名を挙げて放送を禁じる趣旨ではありません。
また、民放側の自主基準(放送基準)は各社の判断の拠り所であり、音楽の扱いも含めて「一律の禁止」ではなく、運用は局・時代で差が出うる性質のものです。
歌詞に含まれる「在所」などの言葉が部落差別問題に関わるとされ、放送局側が「抗議が来るかもしれない」「トラブルを避けたい」と過剰に忖度したことが主な原因といわれています。
実際には、部落解放同盟などが公式に放送を禁止するよう要請した事実は確認できないとする調査結果もあります。
つまり、明確な外部からの圧力があったというよりは、メディア内部の「事なかれ主義」が、この名曲を封印してしまったといえるでしょう。
放送禁止歌として扱われた経緯と事実

この楽曲の扱いは、時代とともに大きく変化してきました。
- 1971年頃
「赤い鳥」によるレコードが大ヒットし、国民的な愛唱歌として広く親しまれる。 - 1970年代中期以降
歌詞の一部が問題視され始め、放送現場で徐々にオンエアが控えられはじめる。 - 1980年代
ほぼ完全にメディアから姿を消し、タブー視されるようになる。 - 1990年代以降
ドキュメンタリー番組などによる検証が進み、再び公の場で歌われる機会が増える。
日本民間放送連盟(民放連)の要注意歌謡曲リストに掲載されていない時期でさえ、現場の判断で流されなかったという証言もあり、見えない空気によって排除されていった経緯がうかがえます。
放送禁止の判断基準や経緯については諸説あり、局や時代によって対応が異なっていた可能性があります。
怖いイメージが定着した社会的原因
「放送禁止」というレッテルは、人々の好奇心を刺激し、同時に「触れてはいけないもの」という恐怖心を植え付けることになりました。
理由が明確に説明されないまま曲が消えたことで、「何か恐ろしい事情があるに違いない」という憶測が広まったと考えられます。
また、社会全体が差別問題という重いテーマを直視することを避け、臭いものに蓋をするように沈黙したことも、この曲に「不気味さ」という影を落とす一因となったといえるかもしれません。
社会の歪みや隠蔽体質そのものが、楽曲を通じて「怖さ」として可視化されたともいえます。
現在も歌い継がれる楽曲の深い意味
長い沈黙の期間を経て、竹田の子守唄は現在、新たな意味を持って受け入れられています。
1990年代以降、多くのアーティストによってカバーされ、阪神・淡路大震災の被災地では人々を励ます歌として歌われたというエピソードもあります。
また、中華圏では『祈祷』というタイトルの平和を願う歌としてカバーされ、広く愛されています。
メロディーそのものが持つ力強さは、言葉や文化の壁を越えて人々の心に届いているといえるでしょう。
かつては「隠すべき歌」とされたこの曲ですが、現在では人権教育の現場などで、差別の歴史を学ぶための教材として活用されることもあります。
自治体の人権行事で「竹田の子守唄(元唄)」が演目として紹介されるなど、地域の文脈の中で継承されていることも確認できます。
京都市伏見区役所『「第23回ふしみ人権の集い」を開催しました!』
よくある質問:竹田の子守唄と放送禁止の誤解
- Q「竹田の子守唄」は本当に法律で放送禁止なのですか?
- A
法律で特定曲が一律に禁止された、という形ではありません。一般には放送局側の自主的判断でオンエアが控えられた時期があったと整理されます。扱いは局や時代で異なるため、断定は避けて確認するのが安全です。
- Q歌詞の「在所」は差別用語と考えるべきですか?
- A
一般語としての意味がある一方、地域や文脈によっては被差別部落を指す隠語として語られることがあったとされています。歌詞の意味を一つに決め切らず、取り上げ方に配慮するのが現実的です。
- Q「もんばめし」は何を指す言葉ですか?
- A
貧しい食事を象徴する語として語られますが、具体的な中身は紹介のされ方に幅があります。一般的な目安として捉え、正確には資料や地域の言葉の説明で確認するのが確実です。
まとめ:竹田の子守唄は怖い歌なのか
ここまで見てきたように、竹田の子守唄が喚起する「怖さ」の正体は、幽霊や呪いといったオカルト的なものではありません。
それは、かつて日本に厳然として存在した貧困や児童労働の過酷さ、そしてそれを「なかったこと」にしようとした社会の冷たさに対する畏怖の念といえるのではないでしょうか。
この歌を聴いて「怖い」と感じることは、ある意味で私たちが歴史の真実に触れた証拠なのかもしれません。
単なる恐怖体験として終わらせるのではなく、その背景にある人々の暮らしや思いに想像を巡らせることが、この名曲を受け継ぐ私たちにとって大切なことだといえます。
歴史認識や解釈には多様な視点があります。この記事は一つのまとめとして参考にしてください。


